対化の等化
先日も少し書きましたが、「シリウス革命」という本の中にあった「対化の等化」という発想が、自分の中で渦巻いています。
対化とは対する2つのもので、世界のあらゆる事柄に該当します。上と下、右と左、火と水、物質と精神、男と女等々。
私は瞑想をするときに、これまでにも「自分と世界」という対化を等化しようと、つまり一体的になろうと意識していました。しかし、自分と世界のバランスがうまく取れていなかった様な気がします。その2つを対等に感じられていなかったと思うのです。
しかし、私がこれまで持っていたパラレルワールドの持論と量子論的な発想と、シリウス革命にあった「光=自分」という発想や人間の「内面こそが現象世界」という発想によって、何となく世界と自分という対化を対等に感じて等化出来ているような感じが少しあります。
最近、夜中の1時30分頃にふと目が冷めるのです。悩み事があって・・・、とか言う訳ではなく(困ったことだらけですが(笑))快適に目覚めてしまうのです。
だから、軽く瞑想をするようにしているのです。そうしたら、何となく今までと少し違う感覚、つまり対化を等化出来てきているような感じが出てきたのです。自分と世界の一体化。
ただ、まだまだ浅い感じですね。かすってるくらいの感じでしかないですが。
実は、もう一つ発想のコツがあるのです。
シリウス革命の中にあった、「時間と空間」という対化の等化です。
時間と空間を等化する事で、自分と世界が等化するのです。
考えてみればこの次元世界では、「時間と空間」が「自分と世界」の分離を錯覚させる役割を大きく担っている訳で、それを等化すれば自然と自分と世界も等化してくるというのではないかと思っています。
でも、その考えは一理あるけれど正確ではないという感じではないかとも思っています。
私がここで言っている等化は、ある意味で夢に近い感覚があるのですが、夢って自分と夢の世界が等化してませんよね。夢の中で何かに追われたり、嫌な思いをすることは普通にあり得る話しです。
まあ、良く解りませんが、「対化の等化」をもう少し楽しんでいこうと思っています。