気も心も結局は同じ性質
今朝、時々昼食に行く森の中の小さな広場に散歩に行ってきました。
自分では、今の時期にするべきは、とにかく自然の中での時間を多めにとって、「気」を育てることだと感じています。
私の気はこれまで2年半の時間をかけて身体の中でどんどん大きくなってきました。そして、昨年末頃からだったか後頭部や腰を起点として身体内の気が身体後方という枠を飛び出し始め、やがて身体の前方、そして頭部という順に身体の枠から飛び出し始めました。
そして、身体の表面10㎝位を包み込むように気を感じられてきて、それからまたすぐに常にではないですが自分を中心として半径1~2mの球状の気に自分が包まれていることを感じることも出来てきました。
その球状の気が今朝は2~3mにまた拡大していました。
これはまだいつでも簡単に感じられるまでにはなっていませんが、とりあえず今朝は感じられました。
そして、その球状の気を感じながらゆっくりと散歩するんですね。すると、木に近づいた時に、その木の気と自分の気が磁石のように反発しあうんです。
それで、木の気を受け入れようと思うと、スッと自分の中に入ってくるのですが、今度は自分の気がわからなくなってしまうんです。
それで結局どうしたかというと、それぞれの気の境に意識を向けずに、そのまま自分の気を広げて木の領域まで包み込んでしまうんですね。そうすると、木の気が自分の気の中に溶け込んでくるような感じになって、とても良い感じになります。
この時に、何か人間関係と同じだなって思いました。
自分と相手とをビシッと区別してかかると、お互いの領域のせめぎ合いになって結局反発しあってしまう。
かといって、相手にばかり気を使って、相手を受け入れることにばかり集中してしまうと今度は自分の主体性が無くなってしまう。
相手を受け入れて、お互いがその存在を否定することなく調和的に一体化すると、安定した心地よさが広がる。
書いてみると当たり前のことなんですが、当たり前のことでも実際の日常の中にそれがいきていないという例は多々ある事だと思います。まさに私の場合は、このことは私の日常で完成させようとしていたパズルの、取りあえずの区切りとなるピースの1つかも知れません。
うん、いい感じ♪