アセンションの時代

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浅間神社・諏訪神社

アセンション」というキーワードで考えたときに、何かこう、悶々としたスッキリしないものがあります。
 
多分、そのスピードが遅いことにその理由があるのだと思います。早ければ早いで、文句を言うでしょうし、まぁ、難しいところですね。ゆっくり、しかし止まらず着実に変化を実感できるこの現実が、結局はベストだという事なのでしょう。
 
8月12日までが獅子座の門が開いている期間ということで、自然の中にいる時間を多めにとっています。昼間は暑いので、日の出・日没前後に海辺を散歩するようにしています。ちょうど、中旬くらいまで子供からも解放されているので、贅沢に時間を使えます。
 
家庭のほうの問題も未だにけりがつかないまま、今度は仕事のほうで波乱の芽が出始めています。
 
チャネリング情報から、次は仕事で大きな転機があるなぁって思っていたのですが、やっぱりきちゃいました。今、突然に何がどうなるという大きな転機にはつながらないと思っていますが、数か月から1~2年かけて大きな転機を迎えるかも知れません。それが始まった感じです。正確には、昨年末にすでに布石が打たれていたのですが・・・。
 
昨日は、富士山周辺の浅間神社を周ってきました。
 
午前1時に出発して、その時点では唯一の目的地であった富士山本宮浅間大社に、開門5時の少し前に到着しました。
 
なぜ、浅間大社に行ったかという事なのですが、少し前のチャネリングに日本の富士山のふもとの神社をポイントに挙げているものがあり、それを見てひふみ神示にもそんなのがあったなぁと思ったからです。
 
開かれた門から中へと入るときに、中から膨張してくる気に押されるような感じがあって驚きました。神社をまわっていてそういう湧き出すような気を感じたのははじめてでした。
 
しばらくは気が身体の上のほうに偏っていてうまく馴染んでいませんでしたが、しばらくすると鳩尾の10㎝上くらいの所が何か反応して、それを切っ掛けに腹の底のほうまでうまく浸透して落ち着いてきました。
 
そして、神社を中心に池や森を1時間半くらい歩いていたのですが、さて、これから富士山に車で登って行っても混んでいるだろうなぁと思って、何気に神社におかれていたパンフレットの大雑把な地図を見たところ、浅間神社というのが他にも富士山周辺にあるんですね。よし、そこをまわろう。となったのです。
 
時間が無くなってきたので簡単にかきます。(笑)
 
浅間神社をまわっていて、時々、目についた神社や浅間神社に並んでいる大きな神社を見ると、どれもが「諏訪神社」なんですね。
 
そして、浅間神社は浸透した安定的な気を感じるのですが、諏訪神社はドンドンと自分の中に気が潜り込んでくるような感じがあり、感じ方が強く、変な言い方ですがちょっとしつこい感じなんですね。
 
車で走っていて、「あっ、神社だ。」って思ってでも向きを変えて戻るのも面倒くさいからいいや、スルー。と思って通り過ぎると、すごく気が高まって動くんですね。それで戻ってみると諏訪神社なんです。他の小さな社と合わさって名前が地域名を取った名に変わっていても、本来諏訪神社なんですね。
 
それで、諏訪神社を離れても、やっぱり気が良く動くんですね。
 
まあ、それで、来週は長野県の諏訪湖周辺の諏訪神社をまわってみようかなぁと思っています。