アセンションの時代

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全ては「必然的」に起こる

私達の多くは、偶然の織り成す世界の中で様々な波にもまれながら、この唯一である物理世界でほんのひと時の命を生きているのだと、思いこんでいるのではないかと思います。
 
しかし、世界は多次元的であり、より真実に近いその始点から私達がこの物理世界で経験してきたことを眺めるのなら、全ては必然であり、偶然などというものは基本的には存在しないようです。
 
例えばここ数日の、個人的なエネルギー感覚の変化について考えて見ます。
 
エネルギー感覚の進歩の段階は、それこそ無限の上昇でありその魂の進歩に応じて繰り返しやってくるものだと思います。
 
そんな繰り返しの段階的進歩のなかで、私の場合は8月末からの環境的なエネルギーの変化を感じ取っていました。
 
9月に入って、そのエネルギー感覚の定着を進めていたのですが、ここにもうひとつのきっかけを与えることで、より確実にそのエネルギー感覚の中へと自分を引き込んでしまいたかったんですね。
 
自覚としては具体的にそう考えてはいなくても、一貫して進歩の方向を向いていたので、それを受け入れられる状況にはあったのだと思います。そして、魂やハイアーセルフ等もそれをサポートするのに良いタイミングだと捉えたのだと思います。
 
そこで、何を思ったのかとても久しぶりに宇野さんの会社のHPを見てみたんですね。そうしたら、9月11日に名古屋で講演会があったんですね。
 
名古屋で講演会が時々あることは知っていたのですが、行こうと思ったことはありませんでした。しかし、久しぶりに名古屋へ行きたくなったんですね。
 
そう思ったら、名古屋へ行く用事が他にも2つ思いついて、「よし、行こう。」と思い立ったんです。
 
車で2時間走り続けていくのですが、長距離運転の際にはエネルギー感覚が強くなる傾向があり、その日も感覚が強くなっていったんですね。
 
ひとつの用事を済ませて熱田神宮へ行くと、そこでもまたエネルギー感覚を高めるんです。1時間ほど境内を散歩して、自分の
 
<今、小さな地震がありました。1回小さく揺れて、2~3秒おいてもう1回小さく揺れました。>
 
自分のエネルギー感覚の進歩を実感しながら、高まったエネルギー感覚に浸ります。いつもなら、エネルギー感覚的にはこれでおしまいのはずでした。
 
しかし、昨日の記事にも書いたように、講演会場で異常なエネルギーの強さを感じ続けていたんですね。そして、講演会も終盤の短い休憩の際に気づき帰り際に確認したのですが、演台の下中央に波動発生装置が置かれていたんですね。
 
まったくの想定外の偶然でしたが、これによってかなりエネルギーが高まり、帰りの長距離運転、そして帰って布団の中に入っても最高潮のエネルギーの高まりが冷める気配がまるでなかったんですね。
 
実はこの2日前に太陽では巨大なフレアが地球の方向に向かって続けざまに発生しており、11~12日にかけて電波障害の可能性などが報じられていたんですね。
 
つまり、その日から翌日にかけてはずっと太陽からの強いエネルギーによって強いエネルギー的な刺激を受け続けていたんですね。
 
そうした環境の中で、個人的にもエネルギー感覚を最大限に上げる偶然がそうして続いていたのです。
 
そして、自分の容量オーバーぎみのエネルギーを感じて、頭部を中心に全体的に圧力的な強さを感じていたんです。夜中に1回目覚めたときまでそれは感じ続けていました。
 
しかし、夜中に2回目に目覚めたときにはエネルギー的な強さは感じたままでありながらも、容量オーバーの圧力的なものを感じなくなっていたんですね。強いエネルギーがスムーズに感じられるようになっていたのです。
 
以後、エネルギーに意識を向けたり、物理的にジッとしているときにはずっとその感覚を感じ続けています。
 
今日書こうとしたことは、こうしたエネルギー容量アップへの一連の進歩の流れというのは、決して偶然によるものではないのではないかという事です。
 
必然的に、全てのタイミングが考慮されて起こるべくして起こっていると、そう思うのです。
 
これは、「特別な出来事ではない」という理解が大切です。
 
「あの人には起こったけれど、私には起こらない。」「私にもそういう事が起こったらいいなぁ。」
 
もしそう思った人がいたとしたら、それは理解を改める必要があると思います。私は自分に特別なことがあったということを伝えようとしたのではありません。全ての物事はそうして必然的に起きているのだということを、たまたまうまく解釈することが出来たので、それをシェアしてみたという事なのです。
 
特別と感じなくても、ありふれた出来事でも、全ては必然的に起こるべくして起きているという事を理解することが、私達の進歩にとって重要なキーになるのだと思います。
 
必然ではない、偶然で運が悪かったのだという「言い訳」は進歩を妨げるのです。そんな気がします。
 
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