アセンションの時代

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「起こること」と「感じること」

私たちは、これからの事について「起こること」とそれを「感じること」を区別して捉えなければなりません。
 
例えば起こることの例として「雨が降った」場合の事を考えて見ます。
 
その時に、「起こったこと」というのは、雨粒が空から降ってきたという事です。それは、ただ物理的な現実で、良いも悪いもなく、ただそれが起こったということです。
 
そうした出来事というのは、全てではありませんが、その多くは自分ではどうしようもない事です。自分の力で、雨を降らせたり止ませたりすることは出来ません。
 
そして、そのように何かが起こったとき、私たちはそれに対して何か「感じること」があります。
 
「うっとうしい雨だなぁ」「仕事が出来ないなぁ」「洪水が起きないだろうなぁ」
「雨音って落ち着くなぁ」「仕事が休めるなぁ」「ダムの渇水は心配なさそうだな」
 
起こったことをどう「感じとる」かは、私たち自身の問題なんですね。
 
私たちは、「起こったこと」と「感じたこと」をセットにして捉えがちです。「起こったこと」から自分が反射的に「感じたこと」をセットにして、その感じ方が当たり前の感じ方なのだと捉える傾向があるのです。
 
しかし、決してその様な事はないんですね。「感じ方」というのは、自分次第であり、その時点での自分を映し出す鏡なんですね。
 
その時に、ネガティブな解釈を示すか、ポジティブな解釈を示すかで、自分の状態を確認する事が出来るようになっているのです。
 
どんなにネガティブだと思える出来事にも、必ずポジティブに捕らえられる側面があるものなのです。
 
マスターと呼ばれる人たちを想像してみてください。何があっても、落ち着いて自分を保っており、頭を抱えて文句を言い出すことなど無い事でしょう。
 
それは、マスターの人たちに魔法のような特別な力があり、その特殊能力で何でも解決できてしまうから落ち着いている訳ではないのです。
 
常にその出来事の持つポジティブな面を捉えて、そこを起点としてポジティブに対応する事が出来るからこそ、彼らは何が起きようとも常に落ち着き払って対応することが出来るのです。
 
2015年というのは、様々な現象世界の出来事により、私たちは激しく揺さぶられながら、「それをどう感じとり解釈するか」を問われるとしになると思います。
 
つまり、これまでに私たちが自分の魂をどこまで成長させる事が出来たのかを問われる年になるという事です。
 
基本的に2014年までが魂にとっての成長のための季節でした。田んぼに苗が植えられ(この世界に誕生し)、暑い日差しの中で私たちは成長の時間を与えられてきたのです。
 
そして、今、刈り取りの季節が始まりました。まだ成長の余地がありそうな稲(人)は、後から刈り取るようにもう少しの余地が与えられるかも知れません。
 
私が常に言ってきた様に、刈り取りの時期を夢見て、刈り取りがいつ始まるかばかりを気にして、成長の季節をおろそかにしてきた稲は、単純にその結果を刈り取る事になってしまうのです。
 
季節はすでに刈り取りの時期を迎えました。しかし、全てが動じに刈り取られるわけではなく、もう充分に成長した稲と、もう成長の見込めない稲から刈られるものです。
 
まだ、成長の予知のある稲は最後に刈り取られる事となり、その最後の時までにはまだ今しばらくの猶予が残されています。
 
成長の本質は単純明快なのです。調和的であれば良いのです。
 
しかし、私たちは分離的な世界に生まれ、分離的な世界を生きてきました。従って、当たり前の生き方が既に分離的要素に基づいてしまっているのです。意識して精神的な成長を求めない事には、自分のどこが分離的でどうすれば調和的になるのかが理解できないものなのです。
 
だから、本質はとても単純なのですが、その単純をこの世界で実践していくにはとても長い時間を要する事になるのです。
 
しかし、今から残された期間においては、ギュッと圧縮された時間が私たちに襲い掛かってきます。次から次へと波乱の出来事が私たちに襲い掛かり、それが最高に密度の濃い学びの期間となるのです。
 
そこで話は戻りますが、「起こること」と「感じること」なのです。
 
今から次々と社会の波乱となる出来事が「起こること」でしょう。それを、「大変だ・もうお終いだ・最悪だ!」とするのか、あるいは「チャンスだ・成長期にするぞ」とするのかその「感じ方」は自分で選択していくものなのです。
 
金融危機で預金が紙切れになった、これが最悪以外の何だというんだ。実際問題、そうした気持ちも湧き上がる事でしょう。
 
しかし、そうした出来事の中にも必ずポジティブな側面があり、それを見つけ出しそれに集中していく事です。
 
これまでは、各自のお金により各自が孤立してバラバラに生きる社会であった訳ですが、それを失う事によって近所や知り合いの人たちと声を掛け合い助け合うチャンスが生まれた訳です。
 
これから、崩壊や天災が立て続けに「起こる」事でしょう。しかし、それは恐怖や不安が「起こる」訳ではないのです。それは、あなたの選択次第で成長のラストチャンスが「起こる」事なのです。
 
つまり、崩壊や天災として起こることも、自分の選択次第で恐怖にもチャンスにも感じられるのです。
 
今からの時代は、社会の混乱=恐怖と決め付けない事がとても重要な時間帯に入っていきます。
 
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