アセンションの時代

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「次元世界」と「ゲーム」

自分が感じている世界の中に自分が居るのではなく、自分の中に世界が映し出されているという事を理解する事は、大切なパラダイムシフトの1つであると思います。

私たちはゲームをする時に、画面の中のキャラクターを一生懸命に操作し、そのステージをクリアするためにどうしたら良いのかを、キャラクターを通して学んでいきます。

それと同じ事なんですね。

多次元的な存在である私たちの本質は、3次元地球ステージのゲームをクリアするために、キャラクターである私たちを通して色々な事を学んでいるのです。

ただ、そのゲーム体験があまりにもリアルであるために、私たちの意識はそのゲームの世界に入り込み、その世界こそが全てだと思ってしまったんですね。

ゲームの世界と言うのは、あらかじめスタートからゴールに至る全ての可能性がプログラムされています。ゲームをしていてもしていなくても、スタートからゴールに至る全ての可能性はそこに存在しているんですね。

私たちの体験している世界も同じです。現在・過去・未来の全ての可能性が、今ここに存在しています。ただ、私たちがその可能性の中から自ら選択し現実化させているものが、私たちの言うところの今です。

しかし、だからと言って他の全ての可能性というプログラムは相変わらず、今ここに存在し続けているのです。ただ、私たちが焦点を合わせて現実化させていないというだけで。

つまり、私たちの体験の本質は波動であり、自らの波動によって現実化される世界が選択されていくという事なのです。

つまり、肉体と言うのは私たちが自分の波動の1つの側面として映し出された世界を捉える1つの「視点」となっているものであり、自分とイコールな存在ではないんですね。

私たちの本質は意識であり、その意識が個性を持った波動を有しています。その波動が1つの表現を持って映し出されたものが、私たちの言う世界なのです。

肉体はその世界の中の1つの主要な視点ではありますが、私たちの本質により近いのは、肉体よりも私たちが経験している世界そのものなんですね。

そこで私が不思議に思ってきたのが、自分と他人の関係についてだったんですね。世界の中の経験を成り立たせている視点から言えば、自分と他人なのですが、より本質的にはそれらはいずれもが自分なんですね。

自他を含めた世界そのものが自分の1つの現われなのですから当たり前といえば当たり前のことなのですが。

ただ、私たちの存在は、この次元に存在しているいわゆる「自分」、ハイアーセルフ・オーバーソウル・ソウルグループなどから一なるものまで、様々な存在としての括りがありますので、どの括りでの自分として捕らえるかによって理解の仕方も色々とあるとは思いますが。

これまでは肉体的な自分を自分として捉えて来ましたが、世界を自分として捉え、肉体的な視点からその世界へ働きかけることにより、自分の本質がより表現されるように世界を変えていくというのがこれからの1つのイメージだと思います。

そうして自分がこの世界に高次元を現実化していくことにより、アセンションの過程は進んでいくのだと思います。

その時、そうした自分の波動が世界として映し出されるなかで、同じような人々が周囲に登場してくるのだと思います。
 
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