アセンションの時代

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「比較」することの無意味

肉体と言うのは、想像の絶する高性能を有した乗り物であり、魂がそこに宿って私たちはこの世界で機能しています。

私たちは人それぞれの個性について、せいぜい肉体的な見た目や性格的なものについてのものだと理解しています。

しかし、そうした要素も含めて私たちの個性と言うのは、魂の持つ固有の波動によって生み出されており、その波動の元となっているものは魂の親元であるソウルグループによるものであると思います。

従って、各個人がどの様に生き、アセンションと言うイベントにどう接していくかと言うのは、ソウルグループ等の持つ目的によって大筋で決められており、魂によってさらに具体的なストーリーが用意されているのだと思います。

私たちの自由意志は、その道のりの上での様々な選択において与えられています。

基本的にその道のりをもっとも有意義に過ごすためには、湧き上がる好奇心に従い、目の前に広がる道のりを受け入れて委ねる事です。

まあ、それが一番難しいというのは、私も常に実感しているところではありますが、それを難しくしているのが1つには地球と言う環境の持つ低波動と、私たちの低波動の主体であるマインドです。

この2つの低波動はともにアセンションへと向かっているわけですが、基本的には人間の波動上昇は他の諸々との比較において、もっとも遅れているようです。

ただ、2012年末以降は急速にスピードを上げだしているようですが。

しかし、やはりその道のりも各個人がそれぞれに歩む事になり、それは私たちが自分と思ってきた肉体的単位としての自分の努力や選択でどうにでもなるというものでもないのです。

従って、人との比較によって自らの道のりを嫌だ嫌だと拒んでもしょうがないんですね。自分には自らの高次元において決めてきた、この世界で学ぶべき事があり、それに沿って人生は流れていくのです。

それが人生の目的なんですね。

だから、アセンションするばかりが目的ではないという事です。

高次元において設定してきた学びこそが、本当の目的なのです。

従って、人との比較がいかに意味の無い事かという事が良く解るのではないでしょうか。誰もが同じ目的を有しているわけではないどころか、誰もが各自にオリジナルの目的と道のりを持っているのです。

ところが私たちは「比較」というものが大好きで、何かにつけすぐに人と比較したがります。異なる道のりと異なる目的の人生をそれぞれに歩んでいながら、その途中で何かにつけいちいち比較しても、意味は無いんですね。

自らをそこに縛り付けるという意味で、悪い意味はありますが。

これからは「比較」を基準にするのではなく、「自分」を基準(大切に)生きることが生きるコツになっていくのでしょうね。