アセンションの時代

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「現実」を創造しているのは

私たちは何か問題が起こったときに、まず原因について考えます。

そして思うのです。

「タイミングが悪かった」「相手が悪かった」「道具が悪かった」「運が悪かった」・・・と。

私たちは、自分の外側に原因を探す事が大好きなんですね。(笑)

実は、それが3次元の世界での「学び」の特徴でもあるのですが。

私たちは、3次元に定着している限り、空回りしているかのようなそうした努力を、ただひたすらに文句を言いながら延々と続けます。

ある時には、その原因を直すことによって、一見すると問題は解消したかのように感じられることも多々あります。

しかし、そうした場合にも、しばらくするとまた同じような問題が新たに湧き上がってくるのです。

私たちはそうした自分の現実を創造しているものが、相手や物やタイミングなどのパーツではなく、創造主である「自分自身」であるということに気付くまで、そうした設定を変えながらの同じ問題の繰り返しをいつまでも続けていくのです。

しかし、そうした繰り返しをしているうちは、私たちは進歩してはいないんですね。一見すると進んでいるかのように感じても、決して進むことなく、同じ場所での空回りを続けているのです。

しかし、時には相手ではなく「自分を変える」事によって、二度と同じ問題に遭遇する事が無くなることがあります。

それこそは、人生の中で自分に与えられた「問題を解いて自分を成長させた」という事なのです。以後、おなじ状況に遭遇しても、それは解決済みであり、もはやそれは自分にとっては問題とはならないのです。

それを私たちは「進歩」と言うのです。

私たちは、自分に起こる全ての問題を、自ら創造しているのです。それを、肉体的なエゴの視点からばかり考えるので、「そんなはずはない。誰が好き好んでこんな問題を創造するものか!」と否定するのです。

私たちは、高次元からの視点において、誰もが自らの人生の創造主なのです。

自分に必要な全ての問題を、肉体的な人間としての人生に引き寄せています。

しかし、高次元の自分としてその人生に学びのための問題を引き寄せておきながら、人間としての自分がそれを否定しているのです。

「自分が悪いのではない。問題が悪いのだ!」と。

私たちは人間と言う経験で自分を進化させようとやってきたのに、その進化のために必要な、高次元の視点から自分で設定した問題に遭遇するたびに、その問題を否定して、この問題は私には相応しくないと解く事を拒み、責任を外の何かに押し付けるのです。

これでは駄々っ子と同じで、駄々をおさめて問題と向き合いそれを乗り越えるまでは、何度でも設定を変えて本質的に同じ問題をいつまでも繰り返すのです。

私たちは、こんなにも幼い魂たちなんですね。

今の時代と言うのは、「駄々っ子にお付き合いできるのは、そろそろこの辺までになりますので、私(地球)と一緒に問題を解いて成長するか、学校(惑星)を変えてもう少し同じ問題と向き合い続けるのかを決断してください。」という地球からのメッセージが発せられている時代なんですね。

イメージしやすく駄々っ子と書きましたが、そこにもまた、その子のペースによる大切な学びがあるのです。そして、宇宙はそのペースでの学びという選択を認めて、それにあった新しい学びの舞台を用意してくれているのです。

私たちは、どこまでも「愛」の中に存在しているんですね。

問題は、私たちがその愛を受け入れていないという事です。なぜなら、その愛を知り、その愛を受け入れる事こそが、3次元で駄々をこねて来た「私たちの最大の学び」なのですから。

私たちは、親の愛に気付かずに、あれやこれやとケチを付けて自分を被害者に仕立て上げている「駄々っ子」なのです。

私たちは、高次元の視点から、今、現実の中で自分が遭遇しているあらゆる問題を、その中で自らを成長させる事を望んで引き寄せているのです。

それは肉体的エゴの意思ではなくとも、より本質的な自分の意思であり、地球と言う象徴として表れている母、太陽と言う象徴として表れている父の懐に抱かれて、それを許されているのです。

母は、準備の出来た子供達は、私と一緒に新しい経験世界へと旅立とうと、私たちに声をかけているのです。

そして母は、それを拒む子供たちを押さえつけて、あくまでも自分と一緒についてこさせようとはしません。

子供たち一人ひとりには、その子の望む学びがあり、母はそれを尊重してあげたいのです。母は、その子の望みに応えられる新しい母に、その子らを託す事になりますが、その子らが成長し、また地球と言う母のもとに戻る事を望むのであれば、母は優しく受け入れてくれる事でしょう。

私たちの「経験世界」は、そうした愛によって包まれているのです。