アセンションの時代

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崩壊への「こころがまえ」

何でもそうなのですが、世界の本質と言うのは、とてもシンプルに出来ています。

経済や金融の専門家たちが、難しい専門用語を使って普通の人たちには理解できないように、いかにも専門家らしく様々な議論を繰り返しています。

しかし、そうした人々は、金融・経済という木を見るのに、枝や葉っぱを細かく細かく見ることばかりを繰り返しており、幹をまるで見ていないんですね。

私たちは、利息を払っています。

自分は借金はしていないから利息を払っていないと言う人もいるかも知れませんが、自分が直接に利息を支払わなくても、設備投資などで借金をしている企業の商品を買ったりサービスを利用したりしています。

その支払料金の中には、「利息」が原価として含まれているのです。

つまり、私たちはあらゆる場面で想像以上の「利息」を支払っているのです。無借金企業というのは、めったに存在しないんですね。

これが、私たちの利用している「金融システムの幹」なのです。

お金の無い大衆や、その大衆を相手にする企業がお金を借ります。なぜならお金が充分に無いからです。

そして、お金を返す時、あるいはその商品を買うときに代金に含めて「利息」を払います。

お金が無いから借りたのに、返す時には借りた以上のものを返さなければならないのです。

そして、支払われた「利息」は金融機関を仲介して、自分ではお金が使いきれずにありあまっている人のところへと支払われます。

ただでさえお金の無い人が、さらなる「利息」の支払を強いられ、ただでさえお金が余っている人のところへと自動(システム)的にさらなる利息(お金)が流れ込んでいくのです。

これは、近所の人とのドングリの背比べの話しではなく、私たちを支配する「金貸し」たちが創り上げた、これまでの3次元世界の仕組みの話をしているのです。

そうした「金貸し」たちはお金のほとんどを、さらなる支配のために貸し続けているので、どこまでもそのお金は膨張し滞留し続けます。

循環する事で経済を活性化させるお金が、そこで所有権が滞留してしまっているのです。

これが、世界の真実なのですが、「金貸し」達が育てた権威構造に組み込まれた学者たちは、そういう見方が出来ません。

その構造から生まれてくるのは、受験や競争によってひたすら枝葉を細かく調べつくす事に勝ち抜いた人々であり、幹を見る術を知らないんですね。そして、彼らは自分たちは優れていると信じ、大衆もまた専門家は優れていると思い込んでいます。

「金貸し」たちの世界支配を維持してきたのは、私たちのそうした「無知」なのです。

それは決して、私たちにそれを理解する能力が無いバカだというのではなく、こうした情報が封印されてきたという理由によるところが大きいんですね。

しかし、既に今、そうした多くの封印は解かれています。

さて今、「金融システム」について、その根本的な構造を見て来ましたが、次に「経済システム」について、同様に考えて見ましょう。

私たちが利用している会社は、基本的に「株式会社」です。資本主義であり、競争原理に放任されていますから、資本、つまり「お金」のある会社が圧倒的に有利な仕組みになっているんですね。

例えば、小売業の場合、巨大企業の仕入値に利益を乗せた売値は、小規模事業の仕入値よりもズッと安いんですね。資本力の差、つまりお金の力がそうさせているのです。

つまり、金持ちの所有する企業ほど強いのです。

私たちは、大きなショッピングセンターやネットモールを通じて、大きな企業の商品をたくさん買っています。

その中には、その企業が大株主、つまり「金貸し」たちに納める「配当金」の負担も含まれているのです。

私たちは、こうしてここでも、日々、金貸し達にお金を納め続けているのです。

しかし、長年、こうした一方通行の搾取構造が持続されてきたために、大衆が支える景気が恐ろしく失速してきているのです。

「金貸し」たちの敵にあたる、「小規模事業者」たちは、すでに十年単位でどん底を苦しみ続けています。

「金貸し」たちにとっては自らの駒である、大企業の従業員たちは、ある程度の金銭的分け前を得て来ましたが、景気の失速により配当が出なくなって来ているので、リストラや企業の売却などで、弱い企業から順に処分されはじめています。

何がどうころんでも、お金の一方的な搾取によるこれまでの支配構造は持続不能なんですね。

闇の仕組みというのは、進めば進むほどに苦しくどうにもならない迷宮、そして崩壊へと向かっていくのです。それが、悲しくも闇の持つ性質なんですね。

光と言うのは、進めば進むほどに良くなっていくんですね。それが、今ようやく私たちが向かい始めようとしている方向です。

私たちは、これから社会の崩壊に直面する事になりますが、崩れるのはそうした搾取・支配的な社会であって、私たちはそこから解放される喜ぶべき事なんですね。

ただ、だからと言って誰かが私たちのために新しい社会を用意して待ってくれている訳ではなく、私たちの社会は、私達自身が構築していく必要があるのです。

なぜなら、私たちは傍観者ではなく、参加者としてこの世界に参加する事を選択してここに生まれてきているのですから。

そこにはしばらく「生みの苦しみ」と感じられやすい時間がありますが、「生みの喜び」はそれを埋め合わせてなお余りある大きなものなんですね。

今からの崩壊に背を向けて逃げないように心がけていきましょう。逃げれば間違いなく、その混乱に飲み込まれることになります。

自分たちは「分離に基づく争いを手放し、調和に基づく助け合いを、自分の経験世界の中に確実に浸透させていくんだ。」という光への方向性を見失わないで下さい。

外の世界からのそうした訪れを待つのではなく、内の世界から少しずつそうした表現を外に現していくのです。経験世界というのは、自分でコントロールしていくべきものなのですね。

私たちには創造の力が備わっているのですから。

「心構え」とは、「心が前」に出る事なんですね。前向きに向かって生きましょう。