アセンションの時代

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「優越感」という誤解

私が使うことがあまり好きになれない言葉に、「ライトワーカー」や「スターシード」などという言葉があります。

実際にそうした人々というのは存在しており、それ自体は何の問題もなく単なる事実だと言えます。

しかし、私たちがそうした言葉を使う時、一部で「優越感」「選民」的な言葉の響きを感じることがあるのです。

「私はライトワーカーであり、他の人々はそうではないから、私の言うことが理解できない。私は、さっさとこんな世界とはオサラバして、もと来たレベルの高い世界へと帰りたい。」と言ったような感じです。

勘違いしないで欲しいのですが、私はそれを批判している訳ではありません。

そういう考え方もあると思いますし、それが悪いとは思いません。それも経験の1つの選択肢だと思います。ただ、私という個性には少しシックリとこないということです。

確かにそうしたストレスも解るのです。私も、自分の考えを理解してもらえずに、ガクッとうなだれる事は良くありました。

しかし、仮に「比較」という視点から捉えるのであれば、これまでの3次元という世界は極端に低い波動の世界であって、多次元的に言えばその波動より高い波動を持っているということは当たり前の事なのです。

つまり、優越感を感じるようなことではないんですね。

そして、さらに踏み込んで言うのであれば、そうした高低それぞれの波動を有していることは、単なる「選択」によってそれを経験しているという事なのです。

魂の視点からは、それを選択すれば「優劣」という見方をすることも可能かも知れませんが、より本質である霊の視点からは、それさえも選択によって起こっているのです。

私たちは自分を理解してもらえないと、相手を低く見て自分を慰めようとする傾向が出るときがあります。

しかし、それら全てを含めて、自分の選択した出来事を経験しているのであり、その経験に文句をつけるというのは、実際には見当はずれなんですね。

ライトワーカーが良くて、その他の人が悪いかと言われれば、決してそんなことはないのです。もちろん、それぞれの役割は違うわけですが、それは善悪や優劣によって違うわけではないのです。

ただ、傾向として、ライトワーカーは調和を経験しようとする傾向を持っており、その他の人たちは分離を経験しようとする傾向を持っているという事なのです。

単なる選択の違いなんですね。

宇宙の法則からして、調和を求めたほうが心地よい経験が引き寄せられてくるのですが、それを様々に選択したレベルで経験して学んでいると言うことで、当たり前の法則に気づき始めている所を経験しているからと言って、別に優越感を感じるようなものではないのです。

逆に言えば、優越感を感じているという事は、より深いところでまだ理解が出来ていないのかも知れませんよ。

言うまでもないことですが、これは誰かをイメージして書いたわけではなく、広く色々なものを見る中で時々ちょいちょいと気になっていたことを書いたまでです。

もちろん、批判でも見下すでもなく、私的な1つの捉え方をちょっと書いて見たまでで、ヒネテ受け取らないで下さいね。