思考の「力」
私たちの本質である魂は、地球と言う仮想現実の世界へログインして、現在の自分と言うキャラクターをまとっています。
つまり、魂としての自己は実在するのですが、キャラクターとしての自分は、仮想現実の中の過去・現在・未来というストーリーの継続的記憶によって保たれているのなのです。
それは、時間の継続性という錯覚が生み出しているものであり、実際に存在しているのはキャラクターを脱ぎ去った意識としての自己だけなのです。
そうした純粋な意識としての自己が、過去の記憶の継続として、キャラクターをまとい続けているに過ぎないのです。
ちょっと、うまく伝えるのが難しいですね。(笑)
例えば、自分はどうしても朝、なかなか起きることが出来ないのだと信じているとします。
それは、過去の記憶の継続によって、自分はそういうものなのだという暗示にかかっているに過ぎないのです。
実際には、「今・ここ」に存在している私たちの意識は、常にまっさらに新しい意識として存在しているため、自分で「自分は毎朝気持ちよく起きることが出来る」と決めてしまえば、その瞬間からそうした自分に変わることが出来るのです。
それなのに、過去の記憶の継続によって、「朝起きられない自分」というものを、かたくなに維持し続けていると言う訳です。色々な理屈で武装して。
それはつまり、私たちの「思考の力」というものが、現実を生み出す上で、いかに強力な力を持っているかを表すものでもあるのです。
私たちは、物質世界に極端に強く意識を入れ込んできてしまったために、「力」というと物理的な腕力のような力であったり、人を支配・コントロールする権力であったりというものを強くイメージしてきました。
しかし、これからの世界では、そうした力はパワーを失っていき、思考による「創造の力」が強く実感されていく事になります。
今日も、もう1本記事を書きます。