アセンションの時代

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やれやれ

今日、2本目の記事です。

1週間ぶりくらいに、子供が復活しました。やれやれと言った所です。(笑)

こうして、子供を導こうとするのにも、どの力を使うかで、大きくその結果が変わってくると思うのです。

例えば、子供がドアを開けられないようにして部屋に篭った時、朝、寝たまま起きようとしない時、これに腕力的なコントロールで対応しようとするとそこに大きな摩擦が生まれ、ますます状況がこじれてしまうのです。

そのため、私は放っておいたのです。

そして、学校に行かないと決め込んでいる時、「いい加減に行きなさい」とコントロールするような支配力を出すと、そこでもまた大きな摩擦が起きるんですね。

そのため、私はほうっておきました。

部屋に篭っている息子は、食事も食べなかったんですね。でも、食べさせようとコントロールすると、それでさえ摩擦が起きるんですね。

そのため、私はほうっておきました。

そして、時々何でもないように声だけは掛けておいたのです。
「食べたいなら、ごはんあるでなぁ。」
「別にどっちでもいいけど、そろそろ学校行った方が楽じゃない?」
「せっかくの時間だで、やりたい事を探してみろよ。」

こちら側の意思でコントロールするのではなくて、子供の思考をつついて待つんですね。こちらはこう思うけど、どう?って。押し付けたら終わりなんですよね。抵抗しか返ってこないのです。

そして、私は毎日、パソコンを抱えて涼しい図書館に出かけていたのです。

いくら意地を張って部屋に篭っても、お腹は空くし、トイレにも行きたくなるし、何よりも暇でしょうから、その内に自分から出てくるんですね。

そうしたら、普通に話しかけて、「頭が痛いで、何を使ってもいいでご飯作って。」と言って自分は寝てしまいます。お腹は空いているし、どうせ暇だから、作ってくれるんですね。

出来たら呼んでくれるので、一緒にご飯を食べながら、「うん、いい出来だ。」と色々と味について話したりしながら、伝えるべきことを織り交ぜて伝えました。

復活まで1週間かかりましたが、昨夜もご飯を作ってくれて、「小説を書いてみたい」とか言いながら、どんな名前がいいと思う?ファンタジー?長編が書きたい。等々、延々と話していました。

嵐の後のようだった室内は、私が図書館に行っている間に、6割方片付けられました。

今朝は、何も無かったように、普通に学校に出かけて行きました。やれやれ。(笑)


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