「状況」は問題ではない
バシャールなどの高次元の存在たちが、私たちに伝えるメッセージを、より効率的に受け取るためには、私たちはその解釈の前提を、彼らの持つ前提にそろえなければなりません。
つまり、高次元の存在たちが、私たちにどれだけ有益なメッセージを伝えてこようとも、私たちが物質的常識という前提から、それを誤って解釈していたのでは、そのメッセージの真意を理解することは出来ないと言う事なのです。
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例えば、「経験」という事について考えて見ましょう。
私たちの感覚では、経験を生み出す「主体」は「状況」にあるのだと感じている傾向があります。
つまり、自分が「どのような状況にあるのか」によって、自分の経験が決定され、それに続く経験が決まってくるのだと捉えがちなのです。
しかし、高次元の存在たちは、まったくその様には考えていません。
「状況」は経験を生み出す上で欠かすことの出来ない要素ではありますが、そこに「主体性」があるとは考えていないのです。
彼らは、「自分がどう在るか」という事こそが、経験の「主体」となるものであり、経験を引き寄せているのは「状況ではなく自己の在り方」だという前提からメッセージを発しているのです。
そして、実際に私たちの世界を含む多次元世界の真理と言うのは、そのように出来ているものなのです。
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例えば、「俺もプロ野球選手になりたいなぁ」と考えたとします。
もし、状況がそれを実現するのであれば、あなたがプロ野球選手としての状況に置かれれば、その夢が叶うことになります。
しかし、その人は「状況」が変わっただけで、本当にプロ野球選手としての活躍を経験できるのでしょうか?
まあ、普通は無理ですよね。そこに用意されている経験は、屈辱なのかも知れません。練習について行けずに、呆気なく首にされてしまうことでしょう。
つまり、状況と言うのは、経験を生み出すための素材でしかなく、経験の主体は自分の在り方によるものなのです。
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例えば、これから社会は急激に混乱の様相を呈し始めることになります。
つまり、私たちは社会混乱という「状況」に置かれる事になるのです。
私たちの感覚では、それは大変な経験となるだろうと感じてしまいます。「状況」に主体を置く傾向が強いために、状況が混乱すれば、自分も混乱することになるものだと思い込んでしまっているところがあるのです。
しかし、経験の主体は「自分の在り方」にあるのです。状況と言うのは、それを経験するための単なる素材に過ぎません。
私たちは、状況に主体をおく傾向があるため、無意識に自分をそれに合わせてしまい、自分の持つ主体性を放棄してしまうのです。
しかし、状況がどうあろうと、自分の在り方に意識を集中していれば、その在り方に相応しい経験が引き寄せられてくるのです。
状況が混乱しようとも、それに主体性を明け渡さずに、しっかりと自分を調和的に安定させ続ければ、混乱と言う状況を利用して、力強い調和と言う経験を引き寄せることになるのです。
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私たちは、チャネリングメッセージに積極的に触れることによって、「思考」においてはかなりそうした世界観の受入れが進み始めています。
しかし、それがまだ、その深層に広がる「信念」にまで届いていないために、状況が揺すられる事によって、とたんにこれまでの古い信念が顔を出すことになってしまうのです。
「知識」を得ることは、とても大切な一歩なのですが、それはどんなに大切であろうとも、始めの一歩であるに過ぎないのです。
思考の領域に知識を吸収したら、次は、それを信念の領域にまで深めて、自分がそう在る事が出来るように二歩目、三歩目を踏み出していきましょう。
私たちは、物質世界にベースをおいて物事を考えているために、その可能性にはせいぜい限りがあるように感じていますが、自分を多次元世界の在り方に完全移行することが出来れば、可能性はそれこそ無限の広がりを持ち始めるのです。
状況は関係ありません。自分がどう在るかという事が、経験を次々と引き寄せて来るのです。