答えは「どこに」あるのか?
私達は、高次元存在たちのメッセージを読み解き、答えのありかを探しています。
しかし、それは、そのメッセージに答えがあるからではないんですね。
バシャールのメッセージの中に、答えがない事は明白です。神との対話シリーズの中にも、答えはありません。
それは、宝(答え)の在りかを示す、詳細な地図ではありますが、どんなにそれが詳細であっても、所詮は地図であり宝(答え)そのものになることはありません。
従って、メッセージの中に答えを探すと言うのは、いずれその人に適切なタイミングによって、根本的に方向を修正しなくてはならない時期がやってくるのです。
例えば、これまでの宗教組織のあり方などは、そうした一例と言えるかも知れません。
教祖や聖書のメッセージの中に答えを求め、自分の外側にあるその答えが、自分を望むべき所・あり方へと連れて行ってくれると信じるのです。
つまり、そうした状態にある時、その人は「宝」ではなく、「地図」を追い求めているのです。
答え(宝)は「自分の内」に存在してと言う事に気付かなければなりません。
高次元存在たちのメッセージと言うのは、全て、「自己探求を進める上での地図」であって、その目的地にあるのはマスターとしての理想的な自分(宝)である訳なのです。
例えば、マスターとそうではない人とが並んでいるとします。どちらも同じ人間であり、雰囲気以外には特別な違いは見て取れません。
しかし、その内面においては、片や宝(聖なる自己)を見つけた存在であり、片や自己探求の迷宮に迷い込んでいる状態なのです。
自己の内面における達成がその差を生んでいるのであり、それは目に見てとれる道のりとは違うのです。
私達は、見て把握する事の出来る、外へ外へと答えを探しますが、実際には答えは内にあるのです。それも「自分の」内です。他人の内にあるものは、その人の答えであって、自分の人の答えではありません。