「春分」を通過
春分点前後の昨夜がエネルギーのピークであったようですね。
エネルギー自体はかなり強かったのですが、自分の中のエネルギーの導管が太くなってきているために、自分の中を通るエネルギーの流れに無理が無くなって来ているようです。
以前は、入口となる松果体が容量オーバーを起こしており、そこで激しい偏頭痛となって表れていたようなのですが、今回は頭部の上側全体でエネルギーを受け取り、それがハートに流れて、そこからさらに肉体を取り囲むようなイメージのエネルギー体へと広がっているのが感じられるところまで、一気に感覚が広がりました。
だいたい、一気に感覚が広がる(ブレイクスルーする)前には、そうした方向性に向けて繰り返し下準備をしており、今回もそれが春分のエネルギーによって一気に形になって表れた感じです。
トーラスと言われる肉体を包み込むエネルギー体の形(循環)をご存知の方も多いと思いますが、それが形になって表れてきた感じです。
綺麗な流れとしては、まだ馴染めておらず、まだ、明確に自分の感覚下に収まってはいないのですが、全体像が姿を表してきた感じです。
そう言う意味では大きな変化が表れてきた訳ですが、少し期待していたような、いわゆる「アセンションしました~」と言う様な変化はありませんでした。
でも、この段階まで自分が実際に来ている事を考えれば、4次元ではなくて5次元へアセンションしている人たちもかなり出てきているはずだと思うんですね。
割合としてはとても少なく、ゼロに近いと思いますが、人数としてはかなりの人たちが既に5次元へアセンションしていると思うのです。
だけど、そうしてアセンションする人たちがいても、「自分の経験」とは実際問題なんの関係もないですよね。直接的には。
例えば仮に、私が「アセンションしました~」ってなったとしますよ。仮の話ですが。
その時、皆さんがそれによって、何か大きな変化を受けるかと言えば、皆さんにとってはそれは「他人のアセンション」であり、それで自分の経験が特別大きく何か変化すると言う訳ではないんですね。
自分はあくまでも自分の経験の中をこれまでどおりに生きて行く訳なのです。完全に無関係と言うのではなく、そこから何らかの精神的影響を受ける事はあるにしても。
同様に、おそらく既にアセンションしている人たちも出てきていると思うのですが、それが直接的に自分の現実に何らかの影響をもたらしている訳ではないですよね。それは、その人のアセンションであって、自分のアセンションではないからです。
それは、30歳と言うタイミングを前にして、周囲の人たちが結婚して行くのを見送る独身者の心境に似ているかも知れません。(今は結婚に対する捉え方も変化してきているのかも知れませんが)
今がそれに適したタイミングだと自覚しており、周囲でそんな話が聞こえだしても、それによって自分が自動的に結婚出来る訳ではないですよね。
自分は自分として、キチンとその過程を進めていかない事には、周囲の人たちの多くが結婚しても、自分が結婚する事は出来ないのです。
今はまだ、実際に結婚(アセンション)するかも知れないと言う話は少ないので、それに関するような情報に関心を持ち興味を持ってその人の成り行きに注目しているのですが、それはあくまでもその人の話であって、自分の話はまったく別物なんですね。
その人が結婚(アセンション)したからと言って、自分の結婚とは何の関係もないのです。
それ自体は決して悪い事ではなく、そうした機会を捉えて変化する自分の経験への認識を深めて、スピリチュアル的な成長(目覚め)を加速させていく事は良い事だと思うのです。
ただ、それが「外からやって来るアセンションの証拠探し」として待ちの姿勢に終わっているのであれば、それにはまるで意味がありません。その様に、人のアセンションの過程を知る事で、自分のアセンションを実感しようとしているのであれば、それは自分のアセンションへの過程を逆に止める事になっているのです。
なぜなら、人の結婚話にのめり込んで聞くうちに、自分の結婚も同じように進んでいるかのような気分になってしまい、自らは結婚への道を進まず立ち止まってしまっているのに、もうすぐ自分も結婚できる気分になっているようなものなのです。
人の経験を参考にすることはとても有益な事だと思います。しかし、それは自分の経験を進めるための「参考」であり、肝心なのは「他人の経験」ではなくて「自分の経験」であると言う事を忘れてはなりません。
私が今回の春分で何を感じ取ろうとも、それは皆さんにとっては、良くても「参考」以上のものには成り得ません。
皆さんにとって大切なのは、今回の春分で「皆さん自身が何を感じ取ったか」なのです。
ただ、春分などのエネルギーイベントに何かを感じなければならないと言う訳では全然ありませんけれどね。
普段から自らのスピリチュアル的な目覚めの過程を、コツコツと進めてさえ居れば、それだけで完璧だと言えると思います。その時、証拠探しは必要なくなるのかも知れません。
でも、私も証拠探しは好きですけれどね(笑)。全体のバランスを崩してしまうほどに大きくならなければ、まあ、多少はそれもカンフル剤として使ってもいいのかなと思っています。いずれは必要なくなる方向に向かいつつ。