アセンションの時代

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「祈り」について(+春分エネルギーの再上昇)

「祈り」についてと言う事でリクエストを頂きましたので、それについて書いてみたいと思います。

ところで、「祈り」って言うのは、それ自体がポジティブだと思いますか?ネガティブだと思いますか?

「祈り」もそこに込める精神的なあり方によって、微妙だけれど大きな違いがあり、誤解を招きやすいですので、ここでは、言葉を置き換えてみようと思います。

私達が一般的に「祈り」と思っているものには、「期待」「要求」「依存」などが含まれています。

例えば、神社などへ行ってお賽銭を投げ入れ、「家族みんなが元気でありますように」と、お祈りします。

そこに込められているものは、「家族の誰もが病気や不幸に見舞われる可能性があります。どうか、みんなが無事でいられる様に守ってください。」と言う感じですね。

エネルギー世界では、自分自身が創造者であると言う事が言えます。物質世界と言うのも、エネルギー的な表現の1つです。ただ、物質世界では、その創造が表れるのにとても時間(過程)がかかりますが。

そして、エネルギー世界には時間は存在しません。あるのは、ただ「今」だけなのです。

つまり、こちらは未来の事を言っているつもりであっても、エネルギー世界は創造者(自分)の創造(祈り)を「今」の視点から解釈して、その創造者の世界に映し出すのです。

言い方を変えると、この物質世界は、自分自身の波動を映し出す多次元的な鏡であると言われていますよね。

今の自分の創造がそのまま世界に表れるのです。

例えば、「健康でありたい」と願う事は、「健康でなくなる可能性の中にいる」と言う事で、それが現実化されます。

神様やあるいは何らかの漠然とした存在に「お願いする」と言う事は、「自分ではそれをコントロール出来ない」と言う事であり、それが現実化されます。

合格祈願をすれば、「自分の力だけでは合格できるか分らない」と言う「今」を創造(現実化)していく事になるのです。

基本的に、「願い・期待」と言うのは、「現状維持」と言う未来を創造すると言う結果を生み出し続けているのです。

そうして、私達はこれまで3次元と言う経験世界の現状を維持し続けて来ました。

それでは、どうしたら良いのか?

「願いや期待」には、現状を否定して、肯定的な未来を願う思いがあります。ただ、未来は幻想であり、存在するのは今だけなのですから、否定する現状が創造され続けていくのです。

つまり、現状を肯定すれば、現実は変わっていくと言う事です。

その時、祈りの中に込められるものは、「要求」ではなくて「感謝」へと取り替える必要が出てくるのです。

未来を要求するのではなく、今を感謝すると言う事です。

それによって、感謝に値する未来が創造されることになります。

自分の現実を創造しているのは、自分の外側に存在している神ではなく、自分自身の中に存在している神、つまり自分だと言う事が出来ます。

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う~ん、どうでしょうか、何かまとまりなくなってしまった様な気もしますが。

実は、春分のエネルギーは過ぎ去ったと思っていたのですが、再びとても強く全体から底上げされて来ているのです。

春分点通過の前後に大きなエネルギーの盛り上がりがあり、昨日の朝型には、とても軽い偏頭痛があって、これで春分のエネルギーは通り過ぎたなと思っていました。

ところが、今朝方にはその偏頭痛がかなり強く、エネルギーも全体を包み込むように上昇して来ています。

今もその状態がさらに強まってきており、思考がうまくまとめられない感じになっています。

自分の中のエネルギーの導管が拡大してきたために、もう激しい偏頭痛は無いと思っていたのですが、そこに繋がりかねないくらいの感覚になって来ています。

あまり変化が続くようなら、また記事として書いてみたいと思います。激しい偏頭痛は避けたいので、なんとか、エネルギー体の中にエネルギーを散らして、松果体の負担を和らげようと思っています。

・・・と言うか、今気付いたのですが、偏頭痛の位置が、松果体(頭の中心あたり)ではなく、頭蓋骨あたりにあります。昨日も書いたように、エネルギーを受けるのが、松果体ではなく頭部全体になって来ており、それが関係しているのかも知れません。

肉体としての松果体や頭蓋骨が痛むのではなく、そこに重なっているエネルギー体のチャクラが痛みを発しているのでしょうか?よくわかりませんが。



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