時間が存在しない
曜日感覚がまるで無くなってしまっています。
新聞はとっていないし、テレビも見ない。子供は夏休みとなれば、曜日に意味は無いんですね。
ちょっと、それを文字として読み流さずに、自分の現実としてイメージすることで感じて見て下さい。
時間に縛られない仕事を軽くしながら、新聞・テレビを見ることなく、家族もフリーな状態で、毎日やりたい事をしながら過ごしている状態です。
まあ、毎日のやりたい事を見つけるというのも、それはそれで簡単ではない訳ですが、ここでは切り離して話を進めます。
つまり、フリーな状態で生きている経験世界には、「曜日」と言うものは存在していないんですね。それは、社会により近いところで生きている人たちが生み出して使っている申し合わせ事項であって、別に絶対的に存在しているものではないと言うことです。
もう少し突っ込んで書いて見ますと、それはつまり「時間」と言うものは人間が創り出した申し合わせ事項としての考え方であって、実際にそれが実在している訳ではないと言うことです。
変化はありますよ。存在の全ては常に変化をしており、永遠の視点から変化しないものは存在しないのです。
その変化を、集団的に共通の認識で捉えるために生み出した考え方が、「時間」と言う事なのです。
従って、私がどう言う感覚でいるかと言うと、「永遠の今の中で、ただ変化を続けながら存在し続けている」と言うことなんですね。時間を経験していないんです。
ここにエネルギー的な感覚が加わることで、それはとてもリアルな感覚として経験されることになります。
ただ、社会との関係において時間に終われるような状態になると、急に窮屈な時間を感じるようになるのですが、それでもエネルギーの中に広がる「今・ここ」に意識を向けて自分を落ち着けることによって、やはり、時間と言う感覚を消すことは出来るんですね。
変化が消える訳ではないですよ。ただ、時間に追われてあせる気持ちが無くなって、ただ、今ここでどのように行動することがより適切であるのかだけに意識を集中することが出来るようになると言うことです。
今は、以前の古い感覚と今の新しい感覚がどちらも解るのですが、思いついた時にこうして書き残していかないと、古い感覚が解らなくなって行きそうな気がする事があります。
思えば遠くに来たもんだって感じです。(笑)