アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

持ち球

私達には、「頭では分かっているのに、行動が伴わない」と言う経験が良くあるのではないでしょうか。

今日は、スピリチュアルな目覚めと言う視点から、それについて少し考えてみたいと思います。

私がこだわるものとして、「思考(知識)」と「信念(常識)」の違いと言うものがあります。

例えば、何年にも渡ってスピリチュアル的な事に関心を持ち、これまでに多くの本を読んだりして来た人であれば、頭の中にはかなりのスピリチュアル的な「知識」が詰まっています。

実際にそうした所にまで目覚めの過程を進めている人と言うのは、私達の中で見てもかなりの割合の人が該当するのだろうと思います。

あれも知っているし、これも知っている。スピリチュアル的な知識は一通り持っているという人たちです。

では、では、では・・・、そうした私達が、実際にその知識に適った、スピリチュアルな日常を送る事が出来ているかと言えば、普通はそれについては大きな疑問符がつくものです。

あれもこれもスピリチュアル的なあり方を知っているのに、自分の現実はまるでそれとは別物で、理想と現実の乖離を上手く埋められていない状態です。

原因は何だと思いますか?

それはつまり、「思考の領域に蓄積された知識」が、「信念の領域にまで常識として浸透させられていない」と言う事なのです。

この「思考(知識)」と「信念(常識)」の違いと言うのは、とても大きな違いなのですが、その違いに気づく事はとても難しいのだとも言えます。

思考から信念に浸透させる事がとても重要なのですが、それ以前に思考と信念の違いを理解する事が難しいんですね。

私も2012年まではその違いが、分かっているような気がしつつも、実はまるで分かってはいませんでした。

でも、その後の3年でその違いを知る事になるんですね。

私は離婚と退職を含むカオスの3年の中で、「知識では乗り越えられない現実」に直面させられたからです。

物質世界は幻想?時間は存在しない?引き寄せの法則?自分が変われば世界が変わる?

正直に言えば、カオス的な現実を乗り越えて行くためには、そんな知識は「そのままでは何の役にも立ちません」でした。慰めにすらなりません。

知ってるだけじゃダメだって事なんですね。それを常識として、当たり前に自分がそうあらなくては、そんなのはまるで役に立たないのです。

だから、必死で知識を信念の領域にまで常識・世界観として浸透させていったんですね。そうするか、もしくは白旗を揚げて分離的な社会のあり方に従う以外には道が無かったんですね。

2019年がどう言うとしかというと、皆がそれを始めるスタートの年だという事なのです。

これまでの時間と言うのは、何だかんだと言っても、集団的に4次元へと向かう流れの中では「価値観を分離から調和に切り替え、スピリチュアル的な知識を蓄積し続ける」ための時間帯であったんですね。

そこで思考の領域に詰め込んできたスピリチュアル的な知識が、これから先を乗り越えて行くための私達各自の持ち球であると言う事です。

2018年までの私たちは、「スピリチュアルを知っている状態」でした。

私たちは2019年から、「スピリチュアルである状態」へと自分を変えて行く事になります。

それは、決して簡単な過程ではありませんが、それだけにスリルは満点です。(笑)

大体そうした状況下では、人々は同じ心理状態に陥って行くものであり、それを抜け出すポイント等も基本的には共通したものが活きてきます。

本当のパニック的状況で活きて来るのは、シンプルに要点を付いた心がけであり、それをキチンとシンプルに実践する事なんですね。

あれやこれやと考え出したら、パニックがどんどん大きくなって行くだけです。

つまり、こうしたネットの繋がりを活かして、声を掛け合うだけでも、凄く役に立つのではないかと思うんですね。

信念への浸透を進めている人は、その過程を進めて行けば良いでしょうし、それが良く分からないと言う人は、取りあえず思考の領域に知識を詰め込んでおくと言うのも今の段階での対応としては、それはそれで良いのではないかと思います。

パッパとシンプルな要点を声掛け合っても、その本質的な重要性に気づくだけの知識がないと、その声掛けを活かす事が出来ないんですね。

まあ、でも基本はなるようになりますから、ポジティブにそうした取り組みを「自分のペースで」楽しんで行く事が一番大切だと思います。

思考・信念については、特に電子書籍「自らの経験世界に高次元を映し出す(上下巻)」で詳しく説明していますので、もし興味のある方は参考にしてみて下さい。

ブログにはブログの、電子書籍には電子書籍の良さがあって、どうしても書き散らかしタイプのブログでは伝えられない事も多いんですね。

つまり、バラバラの知識(思考)ならブログで十分なのですが、それらが面として繋がった世界観(信念)のベースを伝えるには、どうしても電子書籍としてのまとまったボリュームが必要になるのです。

まあ、それだけにブログの方が気楽に読みやすいとは言えるでしょうが。

明るく楽しく元気よく、ビッグウェーブを波乗りして行きたいですね。



イメージ 1