アセンションの時代

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人間の本質的正体

人間とは本質的にはどのような正体の存在なのでしょうか?
 
一般的なイメージとしては、肉体がその人とイコールの様に思われていることが多いと思います。現在、一般的に浸透している科学においては、それ以外に人間を具体的に捉える事は出来ませんからそうなってしまうのかも知れません。そして、それはそれで必ずしも間違っている考え方ではないでしょう。
 
しかし、人間の本質的正体。私の究極的な正体とは何なのかを追求していったとき、その考えには大きな問題が生じるように思えてきます。今、ブログの記事を入力している私。パソコンのキーボードへ打ち込んでいるのは私の手であり、指であります。しかしこの時、肉体としての手や指が考えを持ち文字を選んで動き回っている訳ではありません。手や指は私の本質的正体から指令を受けて動き回っている、超高性能の道具にしか過ぎないのです。もちろん、それは私を構成する大切な一部ではありますが、私の本質的な正体ではありません。
 
では、その様な指令を出している、私の本質的な正体とは一体、何ものなのでしょうか?一般的に誤解されているのは、脳がそれを指示しているというものですが、過去の記事でも述べてきたように、冷静に考えればこの考えにはあまりにも無理があります。そして、科学の主流は今のところその正体については謎であるとしていると思います。
 
まずはじめに気が元となります。やる気・元気・その気等々、気が元となり肉体が動きます。これについては異論は少ないと思います。ただ、さらに気の正体についてとなると、科学や宗教が入り乱れての終わりなき議論がはじまります。
 
宗教的超能力者(空海・キリスト・釈迦 等々)、気功の大師、ヨガの達人、預言者、超能力者、聖人、等々。これらの人々はそのようなそれぞれの肩書きによってまったく異なった存在として分類されていますが、一度それぞれの肩書きを取り除き全ての人々をひとつの基準によって分類すると、驚くほどの関連性というか、何らかの基準・法則に気づきます。
 
例えば、大雑把な分類として「気功師の外気療法」と「霊的ヒーラーによるヒーリング」はほとんど同じもののように思われます。また、空海から教義を取り除けば、ずば抜けた「気功の大師」であるように思えます。「気功とヨガ」も言葉はことなるものの「丹田とチャクラ」など共通性がとても高いと考えられているようです。
 
このように世界各地でそれぞれに育った科学の外の世界に対する認識について、現在のように情報が豊富な時代に統一的に体系づけられることは、とても意義のあることだと思います。