アセンションの時代

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神示の不思議4

最近、神示及び神界の事等について勉強しています。性に合っているというか、とてもオモシロイので、少しまとめてみたいと思います。
 
この世界は主に5つ+1つの世界から構成されているそうです。
 
隠身界(7次元界)
凝身界(6次元界)
耀身界(5次元界) 以上の3界が神界になります
駆身界(4次元界) ここは神霊界です
限身界(3次元界) ここは限界(私たちの存在する世界)だそうです
この他に神霊界から外れた世界として幽界が存在するようです。
※4~7次元界というのは、この3次限界とそれぞれ異なるという意味で、物理学的な4次元等というわけではありません。
 
・7次元界は絶対的な存在でそこから全てははじまります。絶対神の世界です。
・6次限界は7次限界の意志の現れの一面で、この段階で空間(3次限界に限らない)・時間・霊質・物質は創造されました。創造神の世界です。
・5次限界は統一神の世界です。この神々は以下4・3次限界を統一する存在です。
 
ここで面白いのは、以上の神々については、身体を持ち合わせていないという事です。では、その神々とは何なのかと思ってしまうわけですが、表れというか意志というか・・・。言霊などとも深い関わりがあるようです。しかし、統一神については4次限界に表れるときには、龍体となって現れることがあるそうです。この5次限界の主宰神が天照日大神です。
 
・4次限界の自在神は主として龍体を有し霊的割合が大きな存在で、この世界での出来事等が3次限界に大きく反映されます。
・3次限界の限定神(カギリミ:始めのカと終わりのミで神。他の次元も同様)は人間で、物質の割合が大きく、霊的には小さな存在です。4次限界の出来事が反映されます。
 
絶対神が意志を発動し、創造神が具体化計画を作成します。それを受けて、統一神が自在神をもって実行します。その4次限界の主宰神が国常立大神です。
 
次に、このような世界の仕組みの中での、神示の仕組みについて考えてみます。
 
上にもあるように、私たちの3次限界は4次限界の写し(世界構成の前提条件が異なるので、もちろん完全なコピーではないが)であるため、3次限界での出来事は既に4次限界において大筋では決まっている。大筋では決まっているが、3次限界の人間の在り方によって、ある程度の範囲内においては未来を変えることも出来る。これから天孫降臨以来の大転換期を迎えるにあたり、天照日大神・国常立大神・その他の主要補佐神によって、3次限界の激動が少しでも緩やかになるように人類の自覚を促すために神示が降ろされている。しかし、神示と言っても全てが良い神や神霊によるものとは限らないために、人間自身が審神(サニワ:どの程度の神からの神示なのか見極める)する必要がある。と言った感じだそうです。
 
神示によるとまさに今、人類はじまって以来最大の立替(創造的破壊)の時期に突入していると考えられます。
 
江戸時代後期から始まったこの立替立直に関する神示の本流としては以下のようなものが考えられます。
・大本
この他にも今回の立替立直で主要な役割を果たすと考えられている神霊から、数々の神示が降ろされています。
 
また、古史古伝等では超古代とも言える時代から今回(およそ西暦で2,000年前後(他の神示で10~13年程度の遅れが示唆されている)の立替立直に関する神示が数度降ろされているとの記述が存在するそうです。
 
ちなみにノストラダムスの1999年の世紀末預言も、12年あるいは13年の遅れを加味すればまさに、今年来年とその時期を迎えているとも言えます。ズルイ!と言われそうですが。
 
まあ、当たる当たらないは少し待てば解ることですので、ここで強引に答えを出さなくても良いかなと思います。
 
ただ、神道古神道系)凄いです。恐ろしく奥が深いというか、すごく面白いというか・・・。何故この世が存在するのか、どのように存在しているのか、宇宙開闢から現在に至るまでの神の意図する流れとその意味、等々。人知(科学)を遙かに超越しています。「単なる空想でしょ」と言われれば科学で証明できない以上、万人が納得できるような反論は出来ないかもしれません。
 
しかし私個人的にはこう感じています。「空想なら空想でも結構。とにかくこれは面白い。」
漫画やゲームだって、同じじゃないかな。空想を楽しむ。もし、空想であってもそれはそれでとても楽しむことが出来るし、仮に空想でなければそれは言葉では言い表せないほどに凄いことだと思うのです。
 
自我に囚われたり、偏狭的に解釈した一部の新興宗教などが時々問題を起こしますが、「羮に懲りて膾を吹く」のはバカげていないかな。何だかんだと無宗教を主張しても、日本人には神道的価値観がその社会文化の中に脈々と流れているのです。
 
ただ、難点は江戸時代後期~昭和前期の書物が多い上に、用語やその解釈も人や団体によって異なるために読みにくい上に理解もしにくいです。現在、ブログ等で神示を降ろされている方もいますが(多くは知りませんが)、道徳的な啓発や警告が多いように感じます。それはそれで、良いと思うのですが、江戸後期~昭和前期の書物と比較すると物足りなさを感じます(ブログですから大衆向けで小難しい事は書かないという事もあると思います)。
 
今はただ、時間が欲しいです。