アセンションの時代

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ユダヤ問題の重要性 ~終末思想~

私たちは一般大衆であり、政治家とは選挙で選ばれた一般大衆の代表である・・・独裁者とは悪い奴らで、民主主義のお手本である先進国が一応は世界の正義を維持している・・・・・。
 
それが世界だと思っていました。
 
私は何も解っていませんでした。つまり、何も知らずに踊らされ続けていました。自分の意志で踊っているのだとコントロールされるままに。
 
政治は政治、経済は経済、歴史は歴史、西洋医学は西洋医学・・・・・。私の頭の中でバラバラに存在していたそれら僅かばかりの知識が、ある一つのキーワードであっという間に、ひとつに包括された知識体系に変容を遂げました。
 
ユダヤ
 
ユダヤを知らずに語る政治など所詮その程度のものです。
ユダヤを知らずに語る経済など所詮その程度のものです。
ユダヤを知らずに語る歴史など所詮その程度のものです・・・・・・・。
 
みなさん、ユダヤについて勉強して下さい。
 
これが理解できなければ、この先に訪れる人類史上最悪の大混乱を乗り切ることは出来ないと、私は確信しています。
 
敵を知り己を知れば百戦あやうからず
 
己とは日本人であり、日本人とは「古史古伝」「復古神道」であると私は思っています。竹内文書ひふみ神示等を読んでは、「へ~」っと思っていました。
 
大東亜戦争や近代の金融経済について考えると、欧米というのはとんでもない奴らだなという思いが涌いてきました。
 
しかし、最近になってそれはある意味においては誤解だという事を知りました。
私が思っていた、一般大衆による欧米はむしろ犠牲者だと知ったのです。現在のアメリカ大衆の悲惨さと言ったら、大変なものです。
 
では、とんでもない奴らとは誰らなのか?
 
これは多くの人は認識されていると思いますが、国際金融資本です。
 
では、国際金融資本とは何なのか?それが「ユダヤ」。ユダヤ資本です。
 
聖書による「選民思想」こそがユダヤの源泉です。
 
ひふみ神示等にも「イシヤ」(フリーメーソンの事)あるいはユダヤとして出てきますし、古代イスラエル王国の失われた十支族の一部は日本へ来たとも言われており、また世界的に異質な日本とユダヤの文化は驚くほどに多くの共通点を持っています。また、竹内文書には、モーゼやイエスらが日本を訪れているとも記されています。
 
今後1~2年で、世界は激変すると思っています。
それは早ければすぐにでも、遅くてもこの秋頃には始まると思います。
その大混乱(中東発)の果てにいったんは世界を欺いてユダヤが世界支配を達成する事になると思います。
しかし、悪の本性を現したユダヤにストップを駆けるのが他ならぬこの日本であると考えられるのです。悪を抱きまいらせるというお役を担っているのです・・・・・たぶん。
 
日本とは本当に不思議な国なのです。この世界において、異質中の異質と言えるでしょう。
 
話しは飛びますが、菅総理が総理の座にしがみついていますが、彼は自己の欲のためにしがみついていると思いますか?
うつろな目で、みんなにボロクソにけなされながら。政治家の後ろには、たいてい表には姿を見せない真の権力者が存在するものです。その最たる存在がユダヤだそうです。中国共産党も複雑に絡んできているでしょう。日本にもそういった自前の権力者階級が存在するみたいです。
 
竹内文書によるならば、モーゼによってイスラエル神道の精神が伝えられ、その後、日本は天災により今から約3,000年前に壊滅的打撃を受けた。壊滅後の最初の天皇である神武天皇は日本再興のために、積極的に外国文化を受け入れた。その課程で、日本は本来の神道の精神を失っていったが、日本に移民してきたユダヤの失われた十支族はもっとも日本の神道精神を強く守っていた。そのため、歴史は天皇ユダヤ人だと考える説もあるが、真実はユダヤ人(失われた十支族)が日本人以上に神道の精神を強く保持していたというのが真実ではないかと思う。また、その様な彼らが神道そのものである皇室と一部である程度の繋がりをもったとしても不思議は無いと思うが、私は竹内文書を信じているので、天皇はあくまでも生粋の日本人であると思っている。
 
ユダヤで問題となるのは、日本に辿り着いたイスラエル王国ユダヤ人ではなく、ユダ王国ユダヤ人です(もちろん、すべてのユダヤ人ではなく、その支配者階級のごく一部のユダヤ人だけです)。現在、一般的に言われているユダヤ人にも、その血筋のユダヤ人と血筋としてはユダヤ人ではないが、ユダヤ教を通してユダヤ人と呼ばれる人々とがあるそうなのでややこしいかもしれませんが、それらの区別も重要になってくるように思います。
 
とりとめが無くなってきましたが、「ユダヤを知らずに世界は語れない」というのが、私の中では最近になってとても強烈に感じられている事です。