アセンションの時代

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日本人とは何者か?(1)

ここ2,3日の私の興味は、日本人とは何者なのかについてという事に向っています。
 
これを知るためには2つの方向性から知識を吸収していく事が出来ます。まず1つは、歴史的に遡っていくこと。そしてもう1つは、チャネリング古史古伝などの情報から歴史を下ってくる方法。
 
今日は取り合えず、いま何となく知っている事についてまとめてみます。主に1つ目の歴史を遡っていくことによる知識になると思います。
 
まず、現在の日本人の血統(あくまでも差別的な視点ではなく、自分たちが何者なのかを知ろうとする意味からのものです)をDNA鑑定から調べてみると、中国・韓国系が約50%、ユダヤ系が40%、その他10%となるそうです。これも調査によって異論は出てくるでしょうが、大雑把な方向性を掴むための情報としては間違っていないのではないかと思っています。
 
中国系というのがいわゆる弥生人で、大化の改新大化の改新自体はユダヤ系の巻き返し?すみません基本的に勉強不足す。記憶の断片をつなぎ合わせて書いているだけですので)等の時代以降の日本を支配(京都を中心として影から)してきているようです。それ以前の縄文人というのがユダヤ系になるのだと思います。大化の改新の時代以降、中国系に追いやられる形で山間部に住む人たちや、中国人が侵入してこなかった沖縄や北海道のアイヌの人々もユダヤ系の血が濃いようです。
 
後から来た中国系が持ち込んだのが仏教で、先に日本にいたユダヤ系に根付いていたのが神道ユダヤ教)です。この宗教的習慣の違いが原因となって、身分制度で言う「士農工商穢多非人」の穢多(えた)という差別的階級が生まれたようです。要するに、古代日本ではユダヤ系の人々が栄えていたが、そこに中国系の人々が侵入して来ました。その時、国をまとめる為にユダヤ系の人々の指導者であった天皇(スメラミコト)とその支配者層の一部をそのまま残し、その他の仏教に改宗しなかったユダヤ系の人々を穢多(えた)として差別し始めたようです。
 
なぜ穢多(けがれおおい)なのか。それは宗教的習慣に、牛を神に捧げるという習慣があったからだそうです。もともとのユダヤ教では牛ではなく羊なのですが、日本には羊がいなかったので牛という事になったようです。「犠牲(ぎせい)」という字を見てください。「犠」の字を分解すると、「牛」「羊」「我」になります。つまり、「我のために牛や羊を神に捧げる」それが犠牲なのです。しかし、仏教は殺生を堅く禁じていました。それでもユダヤ系の人々は牛を神に捧げ続けた。だから中国系の人々は改宗しないユダヤ系の人々を差別して穢れ多い人「穢多(えた)」としたのです。
 
ちなみに、日本の牛は世界でもずば抜けてその肉質が良い事で知られていますが、それは元々は神への捧げ物として大切に大切に育てられたものだったからです。そして、丹波・宮崎・松坂など、一流ブランド牛の産地が神道の神話の里でもあることには偶然ではないそのような意味があるのです。
 
では、そのユダヤ系の人々はどこから日本に移り住んできたのか。
 
お腹が空きました。続きはまた今度にします。
 
それから、私が書いている事が必ず正しいという訳ではありませんので、興味のある方は自分でも勉強してみてください。まだ今日はそこまでは書いていませんが、実際に私自身がしっくりと納得できていない部分があります。それは、「ムー(レムリア)」と「アトランティス・シュメール・ユダ王国イスラエル王国・日本」の間の繋がりがうまく理解できないのです。上に書いた私の考えを進めていくと、全てはアトランティス文明へたどり着くのですが、地理的に言うのであれば、日本は明らかにムーの文明圏にあったと思うのです。アトランティス自体がムーとの繋がりをもってはいたようではありますが、それでもそこが、私の頭の中でうまく綱がっていないのです。そして、さらに遡ればプレアデス・シリウス・オリオンという霊的、宇宙的な部分までも遡れると思うのですが、どうも日本はプレアデスとの繋がりが強いようだとは思うのですが、それがどういう流れでどうつながってくるのかという事がまだ良く解っていません。
 
解っていないから楽しみがあります。それを解れば、次なる解らない事が新たに見えてきます。だから楽しみが尽きる事はありません。世の中うまく出来ていますね。