アセンションの時代

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巨木に宿る「気」のエネルギー

テンション低いです。放射能問題、何とかならんのでしょうか。私は技術的なことを憂いている訳ではないのです。それはそれとしてもちろんあるのですが、私がそれ以上に悲しいのが社会としての我々日本人の対応です。一般の人々の無関心。そして、政府の狂気としか思えない対応。見たくない、聞きたくない、考えたくない。そんな一般的な多くの人々にこっそりと言わせて下さい。「バカ」・・・・と。
 
さて先日、出張で名古屋へ行った際に熱田神宮へ寄ってきました。
 
私は、木々に囲まれた神社のあの雰囲気が大好きです。特に神宮や大社には巨木が多く、あの雰囲気が好きなんですよねぇ。
 
熱田神宮にも巨大なご神木があります。その中でも、手を洗うところのすぐ先にあるクスノキは、ひときわ大きく参拝者の目を引いています。
 
その木の根元には小さな穴が開いていて、そこにはアオダイショウが2~3匹住み着いているんですね。私も以前に一度だけ、遙か頭上の枝の上で日光浴をしているアオダイショウを見かけたことがあります。何か特別な日?には、巣である穴の前に生卵が備えられている事があったりもします。
 
その巨木は柵に囲まれていて触ることは出来ないのですが、私は巨木を見つけると、その太い幹に手の平を当ててそっと目を瞑り、その「気」の流れを感じるのが大好きなんです。時々、そうしてじっとしている変な人っていますよね。私もそんな一人です。(笑
 
まあ、目を瞑ってじっと動かない人は少ないかもしれませんが、その巨木を見上げながらペタペタと幹に手の平を当てる人は以外と多いですよ。私が目にしてきた経験的には、ジッと目を瞑るのは若い女の人が多いですね。スピリチュアル系の影響が大きいのでしょうか。そして、巨木を見上げながらペタペタと触るのは中年のおじさんですね。私自身は中年のおじさんになりつつあるのですが、若い女性のようにじっと手の平を当てて動きません。いえいえ、決して怪しい者ではありません。?、それだけで充分あやしいってか?
 
なぜ、そうすることが好きなのか?それは巨木から伝わる「気」のエネルギーを、簡単にもの凄く感じることができるからです。
 
「気」に興味のない人が、そんなことは気にせずにただ手を当ててみるだけでは解らないと思いますが、例えば「気功」「瞑想」「ヨガ」などで普段、自分の中の「気」を意識する機会を持っている人であれば、巨木から流れ来る「気」の流れはとても「感じやすく」て、そんなことを繰り返しているうちには手を当てなくても、目を瞑って「気」に集中するだけでその巨木の木をハッキリと強く感じられるかも知れませんよ。
 
過剰な期待は挫折のもとになりますが、もし「気」に興味のある方は是非その幹に手を当てて、まずはその巨木から「気」のエネルギーを分けてもらうようなイメージで、心を集中してみると面白いかもしれませんよ。
 
私は、2009~2010年に休みごとにマイカーで全国を駆け巡り、神社もかなり訪ね歩いてきました。その度に巨木を見つけると、手を当ててそのエネルギーを吸い取り・・・・イエイエ、分けて頂いて参りました。
 
あれ?そう考えると、私は以前から「気」に触れてきていたことになりますね?
 
2010年頃に、私は神示を降ろしている人に占ってもらったことがあり、その中で「気功など目に見えないエネルギーをコントロールして人に伝える役割がある」というのがありました。そして、「趣味で良いから気功などをやってみるのも良いかも知れない」と教えてもらいました。
 
はじめは何とも気にならなかったのですが、そのうちにそれが気になり出して、2010年の秋に初心者向けの本を買って1ヶ月くらい気功の訓練をしてみたのです。しかし、1ヶ月で止めました。なぜなら、冬になり寒くなってきたからです。
 
所がその頃から、勝手に頭の中に「気」が集まってくるようになってしまったのです。しかも、それが強くなりすぎると孫悟空の輪っかが締められているように頭が痛いんですよ。そんな時は、激痛ではないのですが、かなり鬱陶しいんです。困ってネットなどで調べるとどうも「偏差」という症状らしくて、独学でおかしく気功を訓練してしまったりすると現れる症状ということでした。
 
困ってしまったのですが、病院に行ったところで、医者に変な目で診られて精神科に送り込まれるのも嫌なので(笑、何とか頭に集まりすぎた気を、首から下に散らせないかと試しているうちに、「気」の感覚に親しんできてしまったというのが私の現在の所です。
 
と言うわけで、自分でもいま気づいたのですが、始めから自分の中にあった「気」が1ヶ月の訓練を切っ掛けに動き出したのではなくて、それ以前に全国を歩き、各地の神社の巨木から「気」のエネルギーを頂いて貯金してあったのかも知れませんね。
 
「気」は、まず「天・地・宙の気」を自分の中に貯めていくものであるようですから。自動車を「気」に例えるなら、気を訓練する人の身体は「駐車場」になるわけですが、さらに1ステップ上がると「駐車場」を卒業して「交差点」のような役割を目指すようです。つまり、この世界に溢れる気を自分の身体を媒体としてコントロールするという事です。「駐車場」級の達人は、「気」を使うとそれが減り疲れるので、いたずらに気を遣うことを嫌う傾向があるようです。しかし、「交差点」級の達人は、この世に溢れる「気」のエネルギーを使うのであまり疲れることもないし、使うことによって「気」が減るという事もないようです。
 
最近、意識しなくても自然と体内(特に頭、次に手、次に腰と胸)に「気」を感じている時間が長くなってきており、なんか、タバコやアルコールににた感じがあり(私はタバコは吸いませんが)これが無くなったらきっと寂しいというか物足りない気持ちになりそうです。
 
実際、こうしてブログを打ち込んでいる今も、頭に集まってくる「気」を胸から腰に降ろしたり、「胸」の辺に集めたりしながら打ち込んでいます。頭はとても気が集まりやすいのですが、どうも容量が少ないようで簡単に満タンになってしまいます。しかし、それを胸に降ろすとスッと消えてしまったかのように、そこには軽々と入ってしまうのです。・・・多分。まさか、入らずに抜け出てるのか?(笑
 
まあ、身近な人と語り合えるような話題ではありませんが、自分なりに結構楽しんでいるようです。