アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

魂を進化させるために(2)

前回の(1)の時には、現代人に受け入れられやすいようにと思い、科学(物理学)が世界をどう捉えているのかを紹介させて頂きました。しかし、今回はど真ん中直球で、次元を超えた創造主の視点に立った世界観について書いてみたいと思います。
 
<知識の源>
 
こういうジャンルに興味がある方にはご存じの方も多いのではないかと思いますが、みなさんはニール・ドナルド・ウォルシュ氏の神との対話シリーズをご存じでしょうか?
 
私はこの本と出会う以前も、子どもの頃から哲学的な思索にはとても興味があり時々そんな本を読みながら思いにふけっているようなヘンな子でした。(笑
 
しかし、この本に出会ったことによって、人間を超越した大いなる存在が本当にいるのかも知れない・・・・というように物質的肉体人生を限界とした哲学から、それを超越した宗教哲学的な世界へと知的探索の対象が大きく広がるきっかけを頂いた本です。
 
この本はウォルシュ氏によってチャネリングされている訳ですが、注目すべきはそこに情報を降ろしている神です。
 
バシャールによると、ウォルシュ氏に情報を降ろしている神は「地球の集合意識」だと言うことです。
 
私はそれを知ったとき、チャネリングによる本も何冊か読み重ねていましたが、とても嬉しい気持ちになりました。なぜなら、チャネリングによる本は基本的に驚くほどに質の高いものが多いと思っているのですが、「神との対話」は自分の内への染み込み具合というのがずば抜けているんです。
 
他のチャネリング情報は頭を使って考える事が多いんですが、「神との対話」についてはあまり考えなくてもすんなりと染みこんでくるんですね。
 
私の思想を樹に例えるなら、幹の中心が「神との対話」であり、それを取り巻く幹の外側が他のチャネリング情報といわゆる神示(私の場合、バシャールやひふみ神示・神霊密書等の影響などが大きいです)であり、枝葉が哲学書や宗教書・科学書などに限らず、その他諸々のオールジャンルの知識といった感じでしょうか。
 
前置きが長くなりましたが、今日は私の世界創造感をシンプルに書いてみます。影響を受けたものは上記のような書物と私自身の人生からです。知恵袋等には以前書いたことがありますし、このブログでももしかしたらだいぶ前に書いているかもしれませんが、いずれも目にされた方は極小だと思いますので、ブログを覗いてくれている人がやや増えているこの機会にもう一度書いてみます。
 
<世界はなぜ存在するのか>
 
各次元の物質・生命その他全てのものの起源をどこまでも遡っていくと、それらはやがて一つの存在へと辿り着きます。それが「大いなる存在」です。
 
唯一であり全てである彼(彼であり彼女である訳ですが、便宜上、彼とします)は、全ての知識を有していました。しかし、彼は唯一であるが故に、経験することが出来ませんでした。自分が「大きい」という経験をするためには、自分以外に「小さい」存在がなければなりません。自分が「強い」という経験をしてみたければ、自分より「弱い」存在が無ければなりません。そして、本当に強いという経験をしてみたいのなら、弱いという経験もしてみなければなりません。
 
「美味しい」を経験したいのであれば、「不味い」を経験していなければなりません。何もかも全てが美味しく、「不味い」が無い世界を創造して下さい。その世界では、「美味しい」という経験はあまりにも当たり前すぎて、「美味しい」ではなく、「普通」という経験になってしまうのです。例え、同じ物を食べても、その世界に「不味い」という経験があるかないかによって、「美味しい」か「普通」かにわかれてしまうのです
 
「神がいるのなら、なぜ戦争を無くさないのか!」
 
良く問いかけられる疑問の答えはここにあります。
 
「戦争があるから平和が経験できるのです。」
 
しかし、今までであればこの回答まででOKでした。しかし、アセンションを迎えつつあるいま、一歩進めてみたいですね。
 
これまでの人類は、「戦争が無ければ平和を経験できなかった。」
 
つまり、人間の魂はまだまだ幼く、平和というものを充分に理解・経験出来ていなかった訳です。それを充分なものとするために、戦争を通して平和を学んでいたんですね。
 
皆さんはどうですか?充分に平和を学べましたか?戦争がない次元へと上昇して、より深い平和と調和を学ぶ準備は出来ていますか?それともこの次元に留まって、まだまだ平和を学ぶことにしますか?戦争を通して。
 
「大いなる存在」は、こうした様々な「経験」を通して弥栄するために、唯一である「自分の内に」、自分ではないと思わせた様々な存在を誕生させました。自分の霊を切り放し、魂という様々なフィルターをかけて個性と自由意志を与えたのです。魂というフィルターをかけなければ、すべては神の1人芝居となってしまうからです。
 
私たちが魂を成長させようとする理由はここにあります。私たちは本来あるべき姿、「大いなる存在」「唯一神」へと帰ろうとしているのです。
 
各個の成長は「大いなる存在」の成長であり、「大いなる存在」の成長は各個の成長です。なぜなら、それらは全て、本来同一の存在なのだから。
 
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これが、はじめに私が揚げたような情報源等々から吸収した知識を、自分なり練り直してまとめてみた「世界存在の理由」です。
なぜ、人は生きているのか?
なぜ、魂を成長させなければならないのか?
なぜ、この世に悪が存在するのか?
私は、これらの疑問に対して、こういう回答を持ち人生を進めてきました。絶好調です。悪にぶつかっても、絶好調です。もちろん、凹むことも多々ありますが、自分なりに学びとして吸収し、キチンと復活(自分なりに)出来ていると思っています。
 
死んだらそれで終わり。無。
魂みたいなものも存在すると思うけれど、よくわからない。
そんな事は考えたくない。
 
アセンションにおいて、まず大切なのは「調和する心」だと思いますが、それを確実にするためにこうした世界観は大切だと思うのですがどうでしょうか。
 
最後にひとつ、「調和」について誤解無きようにひとつ。
 
賢人は和して同ぜず。凡人は同じて和せず。」。調和はもちろん和することです。