アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

世界をトータルで認識する

最近、記事の中でよく触れている事なのですが、私達はただ1つの世界をトータルで認識するべきところを、バラバラに切り離して部分部分を認識し、その全体像がとんでもない世界観に化けてしまっているのではないだろうかと思うことがよくあります。
 
例えば、「日常的世界」「物理的世界(量子論相対性理論等)」「チャネリング的世界」。本来これらは、視点は異なるものの、同じ1つの世界を(言うなれば宇宙としての現実世界)捉えたものであるはずです。これら全てが、私達の目の前に広がるこの世界を表しているのです。
 
ところが、私達はそれぞれを切り離したままでどこまでも追求していくのですが、それらをもとの1つにまとめようとする努力をしません「日常」は現実の話し、「物理学」は教科書の中の話し、「チャネリング」はオカルト世界の話し。だから、どこまで勉強してもあまり現実世界を捉える事に繋がらないのではないでしょうか。物理学への知識を深めても、チャネリングへの知識を深めても、それはそれ。その世界のみの話しとして、それを現実世界へと投影されてない事がとても多いように感じます。
 
物理的認識も、チャネリング的認識も、この日常的世界への認識でなければならないのです。
 
先日の「魂を進化させるために(1)」で記事にしたように、物理学的には物質とは特殊な空間な訳です。私達は目の前の物質を思うとき、それは特殊な空間だと考えるべきなのです。ところが、それはそれ「量子論の世界の話し」として、日常世界は日常世界として、イメージ的には物質とは固体的な素粒子がビッチリと詰まった物というイメージで捉え続ける訳です。
 
チャネリング情報にしても然りで、部分的には信じつつもどことなくSF世界の話しとして、現実世界と区別してしまっている人が多いと思うのです。
 
だから、世界を知ろうと知識を深めてもそれぞれがバラバラのままで、それが真の力を発揮した形で活かされていないと思うのです。
 
私は若い頃から、宗教と科学が切り離されている事に、強い違和感を持っていました。世界は1つであるはずなのに、その同じ世界を表現しているはずの宗教と科学がまるで異なった事を言っている。これは、明らかにおかしな事であり、どちらもが真実を解説しているのなら、そこに矛盾は生まれないはずだと思っていました。
 
そんな時に、フランスでベストセラーになった本らしいのですが、科学と宗教の融合を試みようとした本を読む機会があったのです。興味のある方がいれば、家か実家の本棚にまだあるはずなので調べてみますが・・・。もう10年以上前の本になりますね。
 
話しは少しそれますが、この本に「魂を進化させるために(1)」に書いたような、物質は電子の飛び交う特殊な空間とする量子論の考え方が載っており、大きな影響を受けました。その後、科学雑誌の「ニュートン」の量子論の特集などを経て知識を深めたわけですが、先日同じような記事が「美しい地球と伴に」さんにも引用されていました。しかし、参考資料が私とはまったく異なるところから引っ張ってきているんですよね。ここでもまた、驚くべきシンクロが成り立っていました。
 
話しは戻りますが、そのようにバラバラな世界観では、世界に対する認識が深まらないであろうと懸念する思いがあります。
 
社会に対しても、政治は政治、経済は経済、教育は教育、医療は医療・・・・。しかし、それはどれも同じひとつの社会に対するいち側面であり、部分として捉える事と伴に、全体の社会を捉える必要が欠かせないはずです。
 
なぜ、私がその事にこだわるのか。
 
その理由は今後の記事として予定している「魂を進化させるために(3)」へと引き継ぎたいと思います。世界を正しく認識できていないと・・・、つまり、真実の世界に居ながらも、自分の創りだす誤った幻想の世界に閉じこもっていると、真に魂を成長させることは出来ないと思うからです。
 
現代人は、五感に頼り切っていますから、その能力を超える世界を受け入れられるかどうかは、ひとつの大きなハードルになるのかもしれませんね。
 
あっ、また耳鳴りが大きくなってきた。う~ん、大丈夫かなぁ?どんどん大きくなってきている気がするし、右耳は変な音が聞こえることもあるし・・・。まあ、そのうち直ると思うんだけど・・・。
 
そう言えば、今朝ウトウトした状態で目を瞑っていて光が見えました。・・・とか書くと、こう、格好良く神々しい光と思うでしょ?ところが現実に見えたのは、うまく表現できませんが直接に光が見えたというよりは、隙間から入ってきた光が積まれた木の一部に当たってそこが光り輝いていた・・・といった感じでした。神々しさも何もなく、昔話の世界的な雰囲気がありました。見えたときに、キチンとした意識で「あっ、こうやって見えるのは久しぶりだな。俺、いま目を開けてないよな。うん、開けてない。目を閉じてるけれど見えてるよなぁ。うん、確かに見えてるぞ。う~ん、不思議だなぁ。」そう思って、目を開けました。だから、夢ではないと思います。言うなれば夢のカケラ