アセンションの時代

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過剰な人工波動から自然波動へ

う~ん。気のせいかも知れません。その可能性も否定するつもりはありません。しかし、自分が感じるので軽く書いてみます。
 
金環日食という、人間社会の力を超えた宇宙的イベントに関心が向いての事だとは思いますが、全体的な「気」が人工的なものから自然的なものへと切り替わってきた気がします。気のせいだと思いますが。
 
それはそれとして、気の感じ方も相変わらず徐々に強くなってきています。
 
これも、自分の波動的な問題なのか、太陽や銀河系からのエネルギー的な問題なのか、はたまたその両方によるものなのか?多分、両方ではないかとは思うのですが・・・、それも正確なところはよくわかりません。
 
ハッキリと解ることは、「気」の感度がひたすら上がり続けている(すこ~しずつですが)という事です。
 
ここ2~3日は、さらに上がってきたと感じていたのですが、今日はそこからさらに強くなっているような気もします。
 
何だったかなぁ。先日、何かを読んでいて、人間の波動の質が「炭素系」から「水晶系」へと変容してきている、あるいはしてくるという記事を読みました。
 
以前にも、そのようなものを読んだことがあります。
 
そして、少し前に水晶のクラスターを購入して、その前で瞑想をしてみましたが、水晶から波動を感じ取るという事は全然出来ません。サッパリです。
 
しかし、水晶の透明度と密度に意識を集中すると、気の感度がグンと上がります。これは、特に目の前に水晶が無くても良いのですが、あって見ているとよりイメージしやすいというだけのことです。
 
そんな事を試している状態で先に書いた「炭素系」「水晶系」の記事をあらためて目にしました。
 
そこで、体内に気を感じる時に、その流れるイメージを変えてみました。
 
これまでは、身体骨格等にある程度は囚われて、手の平から受け取った気は腕を通って脇を通って、それからみぞおち辺りで集まって下丹田へ落ちるというような感じで感じていたのですが、あまりそうした物理的肉体の構造を意識しないように変えました。
 
下腹部(下丹田)に気を集めようと思ったら、頭頂・眉間・手の平・腕等のそれぞれと下丹田を直接結んで感じるイメージです。肉体の物理的構造はあまり気にしません。
 
その様にイメージを変えてた方が調子が良くなりました。これまでは時々、首の変で気の流れがつっかえたり、脇の辺でやはりうまく流れなかったりという事がありましたが、そういうことが無くなりました。
 
その方が気がスムーズに流れますね。
 
それから、あぐらをかいて手を組んで瞑想をしている時に、手を身体から少し前に離していると、足の上に子供が座っているように気を感じます。手から出ている気と頭部や胸、お腹から出ている気が繋がってそこに気の塊を感じるような感覚です。
 
そんなこともあったり、さらには金融危機対応という事も切っ掛けにして、水晶玉を買ってしまいました。(笑)
 
これで石については水晶玉・水晶クラスター・ラピスラズリの磨いた原石・ラリマーのペンダントトップを手に入れた事になります。
 
これにて石の購入は打ち止めです。もう買いません。
 
石もオモシロイのですが、確か「ハトホルの書」だったか?に書かれていたと思うのですが、それらの石はそれなりの波動というかそういう効果を持っているのですが、それに囚われてはいけないという考え方に強く共感しているからです。石がないから今日は気を感じられない・・・、という様になりたくないのです。
 
水晶の文明でもあるアトランティスの失敗は、そうした物や技術に囚われて、人間がその内から生み出す本質的な波動を疎かにしたことにあるのではないかと思います。
 
アトランティスのように、水晶に波動を乗っ取られない(正確には人々が自ら乗っ取らせて自滅した)ように、自分の波動を大切に育てていきたいですね。