アセンションの時代

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「アセンション」か「アセンションシンドローム」か?

アセンションを信じる人々の間では、これはアセンションに伴う現象ではないかという事で、色々な身体的・精神的症状が言われています。
 
私が見たところで多いのは
・耳鳴り
・頭痛
・時間的感覚の加速
・リアルな夢
といったものを良く目にします。
 
さらには崩れゆく旧社会システムの崩壊にあわせて、それを社会の変化を通してアセンション実現への変化を感じ取っている人も多いと感じています。
 
さらには個別に踏み込んだ話しとしては、チャネラーとしてチャネリング情報を広められている方もいますし、気功療法などでヒーラーとして活躍されている方などもいます。
 
では、アセンションというイベントは、広く社会全般ではどのように受け止められているのでしょうか。
 
現実的には、こうしたアセンションと言う一大イベントを真剣に待望する人々が確実に広まっている一方で、全体からの割合として言うのであれば、それは少数派であると言わざるを得ません。
 
そして、現実にアセンションの現れとして感じていると主張される症状についても、事例によってはその事を意識しすぎた結果としての勇み足、言うなれば「アセンションシンドローム」的な集団錯覚である可能性も否定しきれません。
 
こういう場合には、あまり堅苦しくギチッと結論を決めつけてかからない方が良いように感じています。幅広くその意見に耳を傾け、自分の経験を通して考え、そして感じる事が大切だと思います。
 
結論は常に変化していくものですから、常に柔軟性をもって自分の考えを構築し続けると良いのではないかと心がけています。要は、私達は常に進化を受け入れられる姿勢を持っていなければならないという事です。
 
そして、アセンションにおいては、「魂(精神性)の進化」がその根本にあります。
 
上記で取り上げたような、耳鳴りなどの症状は仮にアセンションに伴う現象であったとしても、その一部の現れであり「根本的な問題ではありません」。
 
根本的な問題は、魂が成長しているのか。自然と、社会と、隣人と調和することが出来ているのかという事だと思います。従って、耳鳴りや頭痛、時間の加速感などに「過剰に」囚われすぎるべきではないと思っています。
 
しかし、それを無視するのが良いと考えている訳でもありません。せっかくのワクワクするような楽しい体験な訳ですから、しっかりと味わえば良いと思います。ただ、決めつけてかからず、柔軟性を持って対応するのが良いと思います。それが出来なければ、一般社会から見られたときに一部の狂信的なオカルト宗教とかぶった印象を持たれることにもなりかねないと思います。
 
その辺の事を念押しした上で、自分がワクワクとしながら楽しみ感じている感覚を、気楽に書いてみたいと思います。
 
・とにかく「気」の感覚が強くなってきています。点(眉間や手の平)から線(点を繋ぐ腕や首)、線から全体(みぞおち辺りを起点とした複合的な立体空間)へと領域や強さが増しています。
 
・気の感覚に意識が向かう割合が増えているせいでしょうか?例えば特に身体などで、物質的な感覚(例えば体重○○kgという様な重量や一般的にいう物質としての密度の感覚)が乏しくなってきています。
 
・社会や周囲の出来事から感じる感情がとても弱まっています。リアリティーが薄れてきている感じがあります。
 
・夢はあまり見ない(記憶にない)のですが、見たときはとてもリアルな夢を見ます。
 
・時間をあまり感じなくなりました。ただある空間の中で物事が変化しているだけという感じで、過去や未来、昨日や明日をあまり感じません。
 
特にこの時間の例では解りやすいような気がしますが、これは何も特別なものではないと思うのです。もともとそうあるものを、そのままに感じられるようになったというだけの事だと思うのです。つまり、過去や未来を強く感じていた「今までこそが特殊な状態」にあったのではないでしょうか?
 
・耳鳴りや倦怠感などは身近にもよく聞きますし、私も平均並みの体感をしていると思います。
 
これら全般的に言えることは「考えてみれば確かにそうだなぁ」、くらいのもので劇的にドラマチックに感じているものではありません。
 
ただ、例外は「気」の感覚です。これだけは嫌でもかなり強く日常的に感じ始めています。こうしている今でも全体に感じています。
 
総括してみるなら、これまで100%として信じ感じていた物理的感覚が、この「気」の感覚の拡大に伴い非物理的な感覚に浸食されてきているような、そんな感じです。
 
それが何?と言われたなら、ただ、それだけです。
 
ワクワクしておもしろく、不思議な楽しい自己満足的な感覚世界の話しです。
 
過剰な興味を向けないようにしていますが、興味は尽きません。
 
大切なのは、本質的な問題は、社会や周囲や隣人との調和としての自己創造だと信じています。その表れのひとつとして、こうした世界もしっかりと味わい楽しんでいきたいと思っています。