アセンションの時代

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「ネガティブな予言」との付き合い方

一般的な感覚において、ネガティブに受け取られるような「予言」が相変わらず多いですね。こうした予言は、何も今に始まったものではないとは思いますが、「アセンション」「立替立直」の大きな節目となる2012年も中盤に差し掛かって、そこかしこから湧き上がるように出てきています。
 
私は以前にも書いた事があるように思いますが、基本的に「予言の可能性」については肯定的に捉えています。私がこれまで再三に渡って書いてきたように、この世界を正しく認識するためには「パラレルワールド」に対する認識を欠かすことが出来ないと強く信じています。
 
チャネリング情報においても、バシャールは実際にそのパラレル世界の認識に対する重要性を繰り返し降ろしてくれていますし、エイブラハム等の信頼のおけるチャネリング情報についても、パラレルな世界を前提としている事は明かであると感じています。
 
そうした時、「予言」をどう解釈したら良いのか?私はそれを「可能性」であると解釈しています。そこに「絶対」はありません。しかし、それは「一定以上の可能性を秘めた未来像」であることも否定できません。
 
そして、その可能性は予言された時から予告された時までの時間的間隔が短いほどに確率は高いと思います。そして、その間の時間に変化を起こさずに惰性で過ごした人の未来ほどその予言実現の可能性は高まると思います。
 
パラレルワールド」に馴染まれていない方はここで「?」と思われると思います。一般的には未来は「1つ」だと認識されているからです。それは未だに多くの人が「物質基準」において世界を捉えているからです。世界は1つであり、自分はそのごくごく一部の取るに足りない端くれだと信じてしまっています。
 
しかし、私はそれは錯覚であると感じています。真実は「魂基準」だと思います。私の世界は、私の魂の内側に映し出された自分自身を映す鏡の世界なのです。
 
私には専門的な細かな話しは解りませんが、量子論相対性理論超ひも理論などもそうだと思いますが、これら物理科学の先端理論は「物質基準」ではなく「存在(魂)基準」だと思うんだけれどなぁ。量子論相対性理論の雰囲気を知る事は、物質至上主義の世界に育った私達には必須の事だと思います。私達の感覚は、未だにニュートン世界にとどまっており、アインシュタイン以降を「学問の世界の話し」として日常感覚として受け入れていないんですよね。
 
簡単に言ってしまえば、パラレルワールドとは可能性世界であり、それぞれの魂がそれぞれの可能性を選択し体験しています。つまり、私の世界とあなたの世界は異なるという事です。世界は1つではなく、世界は魂の数だけ存在するのです。
 
従って、予言とはその「無限の可能性の1つ」をこの4次元時空とは異なる次元から感じ取ったものだと思います。問題は、「なぜ無限の可能性の中からその未来を感じ取ったのか」だと思います。おそらくそれは、自分が変化を起こさずに惰性で進んだときに、もっとも選択しうる未来であるのではないでしょうか?
 
そして、私達自身も自分の世界にそういう情報を呼び込んだと言うことは、やはり私達自身にもある程度同じような意味があるかもしれないと感じています。
 
人間は自らの五感で捉えた世界を宇宙の真実であると錯覚していますが、上で言った「物理基準」で考えるならどう考えたってそんな訳ないじゃないですか。宇宙の限界=人体の感覚器官の限界ですか?冗談でしょ。
 
だけど、「魂基準」で考えるならそれもひとつの真実として問題はないのです。ただ、真実であり問題はないがそれが全てでもない。私達の存在は、どこまでも奥が深いのです。
 
さて、今日の本題「ネガティブな予言との付き合い方」に戻ります。
 
それは参考にするには良いが、囚われるべきものではありません。その警告を参考にして、地に足のついた日常生活において、魂(人間性)をより進化させるように心がけることが大切ですね。
 
囚われ振り回され万全の準備を整えたつもりであっても、それは本質的に大きな流れから俯瞰すれば、たかがしれた小手先の対応でしかないかもしれません。大切なのは地に足のついた日常生活において、確実に魂(精神性)を成長させていく事です。それが出来ていれば、もし予言が現実となった時には、その精神性が何よりも最大の財産となって力を発揮することでしょう。
 
現れに過剰に囚われるべきではありません。
 
その現れの根本の精神性、霊性に目を向け進んで行く。それが「アセンション」「立替立直」・・・、だよね。
 
上っ面の現れやその影に夢中になっても・・・・・、今まではそこから学んでいれば良かったんだろうけれど、せっかくのこの時代、この瞬間、もっと全ての本質に目を向けた方が楽しいのに。ワクワクが止まらないはずなのに。
 
ワクワク楽しくなければ、それは必要以上の「我」があるという事かもしれませんね。
無ければならず、ありすぎてもまたならず。ハッハッハ~。笑える。面白いじゃないですか、この世界は。