アセンションの時代

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最終試験に挑むべきか・・・

スランプです。ここのところ、気力がどこかへと消えてしまったようです。テンションがあがりません。
 
おまけに、本日は頭痛です。窓を開けて寝ていたせいかもしれませんが、頭痛に加えて全身が極端に怠く今すぐ床にでも寝転がりたい気分です。
 
もしかしたら、試験を受けるように催促されているのかもしれません。・・・というか自分では確信しているのですが、アセンションへ向けての最終試験が何なのかはハッキリとわかっているのです。
 
だけど、ハッキリ言って試験受けたくないから避け続けているんです。もう、不合格で良いから受けたくないですと言いたいくらいに。
 
それは、嫁との問題です。
 
「伊勢-白山 道」さんhttp://blog.goo.ne.jp/isehakusandouの7/15記事より抜粋
 
まさに人類は、自分に内在する神性に気付くべき時が来ています。
自分が受けた差別や理不尽、艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えて、“それでも”他を許す心に目覚めることが出来るのかが、神により試されている時節です。
これはキリストが、「コノ世で成し得たこと」と同じことを、今の人類・各人が出来るのかどうかなのです。
これはただの服従・我慢ではなくて、自分に内在する神性の存在への敬意において許すのです。
悪人のために許すのではなく、神の神性の名(存在)において相手を許します。
これが出来た時、人類全体がキリストと成り、キリスト御自身(御自神)に進化します。
まさにキリストの再臨と成ります。   ~抜粋ここまで~
 
自分がそれによって本当にキリスト級になれるとか、そんな大それた事には興味ありませんが、現実的な自分に対する程度相応なアセンションへの最終試験は間違いなく嫁との調和にあります。
 
理屈や頭の中でだけなら許せているのです。だけど、現実は完全に別になってしまっているのです。長年の間に染みついたものが、相手にあわせて反射的に出てしまうんです。さらに、それを出さずに乗り越えたとしても、その後にエンドレスに続く理不尽な現実とどう調和して良いのかわからないんですね。
 
つまり、伊勢-白山 道さんの言われるところの、「服従・我慢」へと向かってしまうわけです。
 
「自分に内在する神性の存在への敬意において許す」「神の神性の名(存在)において相手を許す」って・・・。
 
彼女の生き方を許す
その(家事子育て放棄の)穴埋めを私が背負うだけなら現状やっているが、その目の前でテレビを見て菓子食って、子供にも菓子を振る舞って、ゲームをさせて、家中散らけ放題で、いつのまにかカードローンを何本も背負って・・・・。それは耐えかねる。特に子供を嫁のコピーに育てようとするそれらの子育て習慣は許しかねる。
お互いの生き方を尊重
離婚。それぞれが信じた生き方を力一杯生きてみる。
 
これではダメなのでしょうか?どっちみち、離婚してくれないですが。それでも離婚しようとすると、子供を潰しにかかってくるんです。白旗。
 
で、逃げ道は塞がれたと。正面切って、この最終試験を見事通過してみよと、以前から「さぁ、さぁ。」と催促されているのはわかっているんです。でも、そこで立ち往生。
 
「神さまの、アホ~!俺にどうしろって言うんだよぅ!」