アセンションの時代

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オリンピック「柔道」が見せてくれたもの

人は自分の波動を変化させるよことによって、自分にあったパラレル世界を選択し続け、渡り歩いています。
 
この次元の特徴である、「物質」という現象に囚われきっていてはその真理から遠ざかり、いつまでも錯覚の世界で空回りを続けることになってしまう可能性があります。
 
これは科学と言われる物理学、特にその中心をなす量子論などの世界でも真面目に論争されている事なのです。そこでも論争の火付け役になっているのは「錯覚」です。計算結果を受けて、「そんなはずはない」という錯覚に囚われた思い込みが、自分の思い込みにあった解釈を創り出して真理に対する論争を挑んでいます。
 
世界というのは「自分」なんですね。自分の波動が、周囲の波動と関係しあって創りだした世界なんだと思います。
 
自分の波動は、周囲にある色々な波動の中から自分と同じ波動を選んで進んで行くんですね。それがつまり、「引き寄せの法則」と言われるものだと思います。同じ波動の世界を選び、それを肉体を通して物質化した世界として感じているわけです。だから、世界は自分自身でありその写し鏡の世界な訳です。
 
そうして、自分と同じ波動を選択し続ける事によって、その波動を理解し直すところは直して波動を上昇させていきます。上昇させれば、それに合わせて上昇した波動と同じ波動を選択していく事になります。
 
そうして私たち自身は波動の世界を選択し、歩み続けているのです。その歩みの軌跡は「道」であり、つまりは人生そのものだという事です。
 
日本人は「道」を究めようとすることが大好きです。
 
「柔道」「剣道」「茶道」「華道」「合気道」「武士道」・・・・。たくさんの道があります。
 
それはつまり、それぞれの体験を通して「人生」の真理を究めたい。つまりは、波動を高めたいという事なのです。
 
このなかでも、「柔道」は特に面白いものを見せてくれています。
 
「柔道」は、国際化することによって、その道を大きく踏み外すことになり、現在大きくそのあり方を苦悩しています。
 
「柔らの道」。「人生」を究めるための「道」であるはずの柔道が、「勝つ」ことを目的としてしまったのです。目的と手段があべこべです。「人生」をより究めることによって、結果として「勝つ」ことになる訳なのです。ところが現在では、勝つことに目がくらんで「道」から外れてしまっている訳です。
 
やっている当人たちも、見ている私たちも同じです。メダルが何ぼのもんじゃい?
 
もちろん、これはすべての人に当てはまるというのではなく、全体としてそういう傾向が感じられるという意味においてです。
 
合気道の祖である、植芝盛平氏はこうなることを見越して、合気道に「試合」という形式を取り入れませんでした。だから合気道が優れているかというと、それは何とも言えないところで、それは「柔道」「合気道」の問題ではなく、それに取り組んでいる人たち個人個人の問題なのです。
 
オリンピックの「柔道」は、「柔戦」、いやそれ以上に「堅戦」です。
 
これもすべては、錯覚の世界で「物質」に囚われた結果として生み出されたものの一つではないでしょうか。
 
先人は教科書(「道」の地図)を残してくれたが、私たちはそれを理解できていないという事です。
 
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