アセンションの時代

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意識と夢のはざま

夜中に読書を終えて、布団に入って寝るときに、目をつむった状態で何か見えないかなぁって久しぶりに意識を集中しました。
 
見えるには見えたけれど、あまり面白いものは見えませんでした。ただ、その見えた感じが今までに見えた時の感じと少し違いました。
 
過去に見えた時には、見ることに意識を集中して何か動かない物がハッキリと見えました。ところが、昨夜は自動車が行きかっている風景や自動車が走り出す様子が何となく見えました。
 
動きのあるなし、1つの物か風景か、クッキリか何となくかと言った辺りがこれまでと異なって見えました。
 
見ようとしたり考えたりすると消えてしまうので、心を動かさずにただその状態に居た感じです。ちょっと、コツがわかってきた感じもしますがわかりません。
 
そんな中で、1つだけ種類の異なる場面が見えました。
 
罫線の引かれた紙に、鉛筆かボールペンで、「早く気づけよ。」みたいなことが書かれていました。でもこうして書いてみると、もう少し1.5倍~2倍くらいの文字数があったような気がします。
 
その場面は一瞬だけでした。「え~、何に気づけばいいんだ?」としばらく布団の中で考えていましたが、サッパリ解りませんでした。あえて挙げれば嫁との問題関係か?とも思えますが、それなら「パス1」って感じです。ただ、どう気づけと言っているのかにもよりますが。
 
相手の変化に気づいて受け入れろと言っているのなら、それは間違っていると思うんですね。いままでは、ひたすらにそう思ってうまく夫婦をまとめる方法があるって思っていたけど、経験的にもそれは違っていると思うんですね。
 
そうではなくて、ここまでも人生に求めているものが完璧に異なるのなら、お互いの生き方を尊重して、それぞれの生き方でそれぞれ別々の道を進むのが良いと思うんですね。ところが私はそうしたいのですが、完全に嫁に寄生されてしまっていて、離れてくれないんですよね。
 
子供も上の子は小学校の高学年で、自分の考えで動き出しているので、もし嫁についていくと言ってもそれはそれで尊重しようと思うのです。下の子はもう2~3年一緒にいてあげたいですが。嫁についていけばかなり苦労する事になると思いますが、そこから学んで自立していけば良いんですね。きっとその時には、私が仕事に上乗せで主夫として全ての家事をどれだけやっていたかという事もわかると思うんですね。
 
そうして遠回りしてでも学べば、本当に深いところで身についていくんじゃないかって思います。
 
もう、子供の年齢的にも、一緒にいる時間の長さはこれまでほどには重要でなくなってきているのを痛感させられますからね。時間よりも交わした言葉の重みに意味が出てくると思います。その言葉をうけて、色々な機会に子供がそれをどう考えるかという事だと思います。
 
夫婦円満が良いとは思いますが、それに固執し、そうでなければならないというのはお互いを苦しめる事になると思います。
 
それに「気づけ」っていうなら、気づいているけど相手に寄生されてしまって逃げられないんですよね。
 
そうして考えると、それとはまったく違ったことに「気づけ」と言われてる気もするのですが、そうなるとサッパリわかりません。気づけってことは、まだ今は気づいてないって事ですからね。何なんでしょうか?また、少し考えてみようと思います。
 
少し前までならしばらく瞑想をして気が高まっていた状態に、今では2,3秒で持っていけるようになっています。場所的にも、頭部だけだった感覚がほぼ全身くらいに広まってきています。そこからさらに深いところへ入っていくように意識していますが、微妙な深さは別にして、一段深いところへとは入って行けていません。
 
読書の時間を増やしたこともあり、特にあらたまっての瞑想というのはあまりしなくなっていますが、ちょっと息抜きした時や、気の感覚が自然に高まってきている時などにプチ瞑想をしています。
 
最近、色々なことがバタバタと慌ただしくなってきています。コツコツとうまいことこなして、うまく乗り切っていくように心がけています。