アセンションの時代

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「原点に返る」

世界が目まぐるしく変動しています。色々な事柄が目の前を駆け巡り、時には頭の中が混乱してしまいそうになることもあると思います。
 
その時に大切なのは、混乱の中で頑張る事ではありません。混乱に身を任せるのは賢明ではないと思うのです。
 
そんな時には一歩下がって、原点に返る事が大切です。
 
いろいろな問題には、遡ればいろいろな原点があります。しかし、その全てを包括する私たちの存在、「私たちは何者であり何をしようとしているのか?」それを知ることは必須です。
 
このブログも原点に返れば、そこへと戻っていきます。私が書いた当初の記事には、そうした内容が多かったような気がします。
 
多くの人は人生というマラソンを走りながら、そのゴール(向かうべきところ)を知りません。
 
周りの人々の流れについていっているだけで、何のために走っているのかも、どこへ向かっているのかも解ろうとしないのです。
 
そして、その事実に疑問を抱き、自らの足で流れから外れて真実を求める歩みを始める時、大きな流れの中から指先を向けられ笑いながらヒソヒソと声がするのです。
 
「ちょっと、変わってるね。」
「バカじゃないの?」
 
その声を聴いて、あるいはそう言われる事を恐れて流れに戻る人、流れから出られない人もいます。あるいは、いつしかその声に反発することが目的になっている人もいます。
 
しかし、ごく一部の人々は自分に素直に真実を求めて自分の道を歩むのです。
 
なぜ、流れから外れても平気なのか?流れの中から不思議にそう思う人々もいます。
 
しかし、自らの道を歩む人たちからしてみると、その疑問こそが大いなる疑問なのです。
「なぜ、彼らは自分の道を歩まなくても平気なのか?」
 
目的を知っていれば、あるいは系統だてて意識的ではなくても何となく無意識的にでもそれを知っていれば、そこへ向かって自分の道を歩むことが当たり前なのです。
 
しかし、目的を知らなければ、周りの流れにただ流されていくしかないのです。それが「当たり前」であり「常識」なのです。流れから外れても向かうべきところを知らないのですから、いつしか流れの中にいることこそが目的になってしまうのです。
 
人々が言います。「命の存在に意味なんてない。個人的にどう意味を与えるかだけだ。」と。
 
それはその人自身の意見でしょうか?考え・調べ抜いた末の答えでしょうか?それとも、考えるまでもなくそういうものだと、常識としてフリーパスに近い状態で受け入れてしまっているのでしょうか?
 
ハッキリしていることがあります。
 
人々の大きな流れは、今この瞬間にも轟音を立てて流れ落ちる大きく破壊的な滝に向かって一直線に向かっています。その音に気づいて、自らの魂で真剣にそのあり方を考えだしている人々が急増している事だろうと思います。ただ、急増しているとはいえまだ少数派であることに違いはありませんが。
 
しかし、その少数派は滝の下の新世界へ移行するのに、流れに乗ったまま滝壺へとは落ちていきません。そうした、無意識的自殺行為を避けて、各々のアドベンチャーロードを進んで行くのです。空から舞い降りるか、崖を降りるか、急いで回り道をするのか、それはそれぞれの自分の道であり、そこには間違った道は存在しないのです。
 
命には意味があるのです。それは、個人が与える意味以上に、存在するものとしての絶対的な意味があるのです。
 
多くの賢人・聖者の言葉が、千年あるいはそれ以上の時を経てもなぜ未だに新鮮に語り継がれているのか?
 
答えを示してくれているからなのです。だから、消えようがないのです。真理なのだから。
 
こんなにもこんなにもこんなにも素晴らしい、奇跡の世界に存在しているみなさん、せっかくのせっかくのせっかくの機会ですから、十二分にワクワクと味わい尽くしましょう。