アセンションの時代

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パッとしない日常(涙)・・・(笑)

昨年は、毎朝3時起きで6時半ころまでを読書の時間としていました。今年に入ってからは読書から瞑想に比重を移していたので、4時半起きくらいになっていたのですが、やっぱり再度、読書に力を入れ始めた関係で先月から3時半起きで、6時半までを読書の時間にしています。
 
そこからは洗濯を干して、朝食を作って、子供を学校に送り出して、弁当を作って、仕事へ出発です。
 
昼は弁当を食べながら1時間読書が出来ます。
 
仕事は1~3月以外はだいたい定時で帰ります。みんなはなかなか帰らないようですが、別に仕事が忙しいわけではないと思います。他の人は、年配の人が先に帰らないとなかなか帰りにくいようですが、私は年配の人に負けないように一番に帰るように心がけています。(笑)
 
だからといって、仕事が嫌いなわけではありません。それなりに気に入ってますし、自分には合っていると思っています。人との会話も多いですし、比較的マイペースで仕事を進めることが出来ます。
 
でも、定時を過ぎてまで、特に目的も持たずに職場にいたい気分ではありません。もう、1日8時間も充分に職場にいた訳ですから。職場に残っている人が良くないとも思いませんが。人それぞれの好みだと思います。残業手当取ってたら、オイオイと思いますけれどね。
 
家に帰って、洗濯物を取り寄せ、夕食を作ります。その間に、嫁のところでゴロゴロしている子供たちに宿題を終わらせるように声をかけて、夕食が出来ると、机を吹いて食事を運ぶのは子供たちの仕事です。
 
二人の子供と3人で食事をとります。嫁は・・・もう、手に負えません。(苦笑)
 
テレビは、私がいない間は常につきっぱなしに近い状態になっていたので、コードを隠してしまいました。子供はそれでもまったく問題なかったのですが、嫁が怒った怒った。見たければ、NHKの受信料を自分で払って、自分が占領している子供用の部屋で見てね。と言っておきました。
 
テレビが付きっぱなしになっていると、その前で子供が多くの時間を時間つぶししてしまうんですね。無ければ友達と遊びに行ったり、本を読んだり、何かを作ったり、ゲームをもってきて一緒に遊ぼうと誘って来たり。
 
テレビはそうした多くの貴重な学びの機会を奪ってしまうんですね。そして、知らず知らずのうちにテレビ中毒になっていくんです。
 
今は夕食の時間に、インターネットのGyaoで「じゃりんこチエ」とか、「ルパン三世」、「ムーミン」とか見ています。そういう時間を完全に無くしてしまうのもどうかと思いますし、子供もそれを楽しみにしていますから、1時間くらいはまあいいかなと思っています。
 
食後には洗濯物を畳んで、食器を洗います。
 
子供がGyaoを見終わると、一緒に風呂に入って寝るといった感じです。
 
就寝は21時です。6時間は寝ないと、起きてから読書に集中できませんから。
 
嫁との問題は、過去にも書いたことがありますが、私はもう完全にさじを投げています。子育て放棄の家事放棄。
 
理想の幸せは全てを他人に世話してもらい、三食昼寝月で、小遣い使い放題。その理想を掲げたうえで、あとはどれだけ妥協しなければならないのか・・・、と思っている訳ですから、食事を1度作れば猛アピール。「私も作ってる・私もやった。何でそれを解ってくれないの!」
 
子供の手伝いじゃないですよ。たまの食事、たまの洗濯を気まぐれでするたびにそれですから、もういい、俺がやるから手を出さないでって事なんですね。
 
たまに気まぐれで、ご飯と出来あいもの一品のおかずの夕食を作った作ったと大騒ぎされてはかないません。食後に子供が「お腹すいたー」となって、結局は私が何かお代わりを作るのです。
 
そういう訳で、家事は100%私の仕事になってしまったわけなんですね。99%ではないですよ。1%手を出されると、やったやったとうるさくてカナワナイんですね。
 
さて、ここからアセンションを絡めて少し期待している事なのですが、おそらくこれだけ異なる世界を選択していると、今後はパラレルワールド的に同じ世界に存在していく事は出来ないと思うんですよ。
 
私自身の世界観からの、自分の現況における人生分析では、自分に素直に真っ直ぐに生きていれば、自ずと私と嫁の道は分かれていくのだろうと思っています。
 
それが、当たるだろうか?外れるだろうか?という事に、とても興味を持って自分の人生を眺めているのです。
 
ネガティブな世界にはまり込んではいけない。つまり、嫁とのケンカや離婚問題などは避けては通れませんし、完全に避けようとは思ってもいませんが、そんなところへ力をつぎ込むべきではないと思っています。
 
そこへネガティブな力を注ぐことは結果として、そこからますます抜けられないことになっていくような気がするのです。
 
私のスタンスは、嫁には幸せになってほしいと本当に思っているのです。ただ、私はそれに付き合うことは出来ない。私と嫁とは求める世界があまりにも違いすぎるから、ここから先はお互い自由になって、お互いが信じた生き方を生きてみよう・・・と思うのです。
 
だから、気づつけあいたい訳ではないんですね。幸せになってもらいたいんです。ただ、私はもうそれには付き合いきれないんです。
 
はじめのころ、どうしても嫁(当時、完全な専業主婦)が食事を作らないので(嫁の主食はお菓子)、私が自分と子供たちの食事を作った時、嫁が言ったことが印象的でした。
「どうして、私の分を作ってくれないの?なんで、私を仲間はずれにするの?」
 
仕事も家事もすべてをやってもらうことが理想。あとは、どれだけ自分が妥協して動かなければならないか。そこには支えあいや役割分担の欠片も無いのです。
 
分岐点だと思うんですよね。タイミング的に2012年から2013年にかけてが。そんな、オカルト任せな考えではイカン!と思われるかもしれませんが、そうでなくても、今は子供や自分の状態からしてもあまりネガティブ(離婚への行動)に力を注ぐタイミングではないと思うんですね。
 
嫁から出ていかないかなぁ・・・と思っているのですが(笑)。そんなにうまくはいかないかなぁ。
 
とにかく今はポジティブな方向に力を向けていたいんです。読書・気功・子育て。山歩きや神社めぐりもしたいと思っているのですが、なかなか読書に急かされているようでゆっくりと出かける気分になれません。
 
あと、実は神示をおろしている人に占ってもらったことがあって、その結果を読んだときにはあまり何とも思わなかったのですが、後になって読み返してみると結構肝心なところで当たっている事が多くて驚くんですね。
 
実はこうして今、凄く強く気を感じるその最初のきっかけになったのも、その占いで「気功」などが向いていると書かれていて、興味本位に独学で1ヶ月だけ気功の練習をしたことがはじまりなんですね。
 
あと、読み返してみると、社会的な役割として、目に見えない事を人に伝える事とか書いてあるんですよ。まあ、このブログなんかではそんなレベルの話しではありませんが、方向性としてはかぶっているなぁと思ってみたり。
 
その占いによると、今年は離婚が強く暗示されているんですよ。出会いと別れがある的な事も書かれてたりして、月別にはあまり詳しく書いてないのですが、勝手に深読みして5月に別れで7月に出会い。なんて、期待してたりしたんですが、5月に別れは無く、7月に出会いはありませんでした。(笑)
 
やっぱり、アセンションや占い任せではダメかなと思いつつも、いやいやポジティブな日常を突き進んでいく事が望む現実を引き寄せる王道なのだと信じてみたり。
 
深刻な葛藤は若さとともに過ぎ去り、一歩下がったところで笑いながら葛藤している自分を感じる今日この頃です。(笑)