アセンションの時代

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ひふみ神示の「旧九月八日」

ひふみ神示で最も強く暗示されている日付のひとつが「旧九月八日」です。今年の場合は新暦で10月22日(月)になります。
 
預言とは神から預かったメッセージであり、予言は個人の能力によって垣間見る未来の一端です。そこには大きな違いがあります。預言は何も神の遊び心で降ろされる訳でも、気まぐれで降ろされているわけでもありません。ここは飛び出すと跳ねられるから、ここでは脇見をしていると落ちるからというように、親心からの人類への暖かなメッセージなのです。
 
そういう意味で、悪い預言を当てないようにするというのは人類に与えられた義務でもあるのです。
 
そういう意味で「ひふみ神示」を見てみると、「旧9月8日」という特定日が強調されています。
 
どう強調されているのか?それは大きな転換点が訪れるという事です。それは静から動への転換です。
 
「旧九月八日までにきれいに掃除しておけよ。」
「旧九月八日までに何もかも始末しておけよ。」
 
つまり、しっかりと準備をしておくようにという事です。何を準備するのでしょうか?食料備蓄?資産保全?生活用品の買いだめ?ひふみ神示は必要以上の「自分は助かろう」とする努力をあざ笑います。準備とは、魂を清らかに霊性を高めよという事です。
 
「旧九月になったら、いそがしくなるから、それまでに用意しておかんと悔しさが出るぞよ。」
 
準備が出来ていないと悔しいことになるという事です。準備が出来ていれば、悔しくはならないという事でもあるのでしょう。物欲・我欲に囚われていれば、今から先は失うばかりです。悔しくて泣きたくなるでしょう。では、霊性を高めて新世界へと向かう準備の出来ている人はどうでしょうか?もちろん不安は伴うでしょうが、これまでの地獄のような世界が崩壊し、新しい世界でより調和を感じて生きていく事が出来るのです。
 
「その日からいよいよ神は神、けものはけものとなるぞ。」
 
それ以降、それぞれの本性がストレートに現れるという事です。物欲・我欲に囚われていれば、奪い合いを避けることは出来ないでしょう。そこでは紙幣という紙切れなど何の力ももたないでしょう。そこで意味を成すのは文字通り力、腕力なのかもしれません。心に獣を宿している者は、獣の道へ進むのかもしれません。そんな時代ほど、調和を求める心優しき行いに人々は注目し、準備の出来ている人々はそこへ力を結集するのかもしれません。
 
「旧九月八日迄にすっくりとまつりかへてくれよ。」
 
この日から、祝詞や礼拝の仕方が変わるような事が書かれています。つまり、この世界の仕組みや法則の枠内での変化ではなく、もっと根本的な法則のようなものに変化があるのかもしれません。例えば、惑星規模とも言えるような天災かもしれませんし、気付かないながらも次元的・波動的な変化かも知れません。
 
「旧九月八日とどめぞ。」
「旧九月八日で一切りぢゃ、これで一(はじめ)の御用は済みたぞ、八分通りは落第ぢゃぞ、次の御用 改めて致さすから、今度は落第せん様 心得なされよ。」
 
旧九月八日で終わりだけれど、もちろん、本当の何もかも終わり・・・ではありません。一区切りです。八分通りは落第だそうです。八分とは80%だと思います。しかし、まだチャンスはあります。ありますがそれに甘えるべきではありません。遅れれば遅れるほど、収穫される(自らを収穫する)チャンスは困難なものになっていきます。
 
一般的に良く言われているのが、最終的に三分の一が自ら進むことを選択するという事です。そう考えるとまだまだチャンスはありますし、上限が三分の一にキッチリと固定されているわけではなく、あくまでも可能性における目安ですから、気付いた人からドンドンと突き進んでいくべきです。
 
それは人間性の向上に、調和を目指した生き方へと突き進んでいくという事です。それが結果として、アセンションへと突き進んでいく事になるのです。
 
さて、先日は富士山の噴火がかなり差し迫ったものになりつつあることについて触れましたが、関東を中心とした広いエリアで先週辺りからかなりハッキリとした地震雲が現れているそうです。伊豆の海底でも熱水が噴き出している活火山らしい場所が新に確認されているそうです。
 
だから10月22日(旧9月8日)に、ピンポイントで何かがある!と言えるかどうかは解りませんが、神示に関係なくとも精神的な進化を急がなくてはならないことは、天災以外にも金融・経済・軍事等の危機的状況からも間違いのないことです。
 
来るその時に、けものとなりませぬように。お互いに頑張っていきましょう。