アセンションの時代

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自分の「ルーツ」を辿る

昨日は久しぶりにフリーの時間を満喫できました。
 
最近、週末に嫁が上の子を連れて実家へ行くのですが、今週は下の子も連れて行ったので自分の時間がもらえました。離婚がらみの情勢なだけにヤバイんですけどね。子育て放棄の家事放棄でも、子供にとっては母親という見えない影響力は大きいですね。母親の居ないところでは友好的な子供達も、母親の前では私に敵対的な雰囲気を出しますからね。まあ、親にベッタリの年齢は終わりつつありますので、これまでは子供を手元に残すことが絶対でしたが、そろそろ離婚を優先したい気持ちもわいてたりして。怖いんですよね。このまま嫁というリスクを背負い続ける事が。でも、子供と離れるのはキツイなぁ・・・と思ってウジウジしていると精神衛生上良くないので、ワクワクを求めて前向きに、昨日はお手頃な日帰りコースで、長い石段のある馴染みの山へ行ってきました。
 
ところが突然の思いつきで、途中でずいぶんと長い寄り道をする事になりました。
 
山へ行く途中で、母親の実家の直ぐ近くを通ったのですが、そのまた直ぐ近くにはお墓があり前々からお祖父さんのお墓参りに行きたいと思っていたのです。そこで、瞬間的な閃きでパッと道を曲がってお墓へ寄っていくことにしたのです。
 
その墓地へは幼い頃に一度だけしか行ったことがなかったのですが、狭い墓地でもあったのでお墓の位置はすぐにわかりました。
 
お祖父さんは終戦後10年くらいで病気で亡くなっているのですが、その亡くなる3ヶ月前に広島の原爆で亡くなった弟のお墓を建てていたようです。このお祖父さんは、優秀で真面目な人だったらしく、近衛兵として皇室に近いところを守っていたそうです。私も子供の頃はいちおうマジメで優秀と評されていました。途中までですが(笑)。
 
背も私と同様に高かったらしく、極めつけは年は違うものの、お祖父さんの命日が私の誕生日ということもあり、いやいやこれは、私の前世はお祖父さんかも知れないなんていたりもしたんです。
 
しかし、結果としてとても良く当たっているのですが、神示を降ろしている人に色々と見てもらったものに、私の前世は物欲志向が強く、周りにも結構迷惑をかけており、今回の生ではその反動で精神思考が強くなると書かれたのです。
 
多分、これが当たっているんだろうなと思ったので、お祖父さんは前世ではなく守護霊的な存在かも知れないなと位置づけを変更したのですが、気になる存在ではあり一度お墓参りに行きたいなと思っていたのです。
 
それで、私の前世ですが、私の勝手なカンですが、大阪あるいは兵庫あたりに大正時代の頃、遊郭を経営していた女性がいたんですね。そこで富を成してから、精神性に目覚めはじめて神示を降ろしたりもしながら遅くに結婚して、それからしばらくして亡くなっているんです。その女性は、実際に実在した人なのですが、私はその人が私の前世?とか軽く思ったりしています。単なるカンです。
 
話が逸れましたが、お祖父さんのお墓参りをして墓石を眺めていたら、そこに家紋が彫ってあったんですね。墓石ってどこも家紋が彫ってあるんですね。
 
家紋はある意味ではその家のルーツをあかすものであると思います。私の中に父と母は血筋的に似た系統ではないかと思っていたので、家紋も似ているかもしれないなぁという思いは以前から漠然とあり、その思いが掘り返されてきました。
 
よし、父方のお祖父さんのお墓参りにも行こう。・・・という事で、山と方向が違うのですが、もう一つのお墓も参っていく事にしました。
 
子供の頃はあまりピンと感じなかったのですが、今になっていって見ると、そちらのお墓はかなりりっぱなお寺の裏の墓地にあり、西暦で701年に創建されているようです。本当に辺鄙な田舎なのですが、そこに住み着いてしまいたくなるような素晴らしい風景でした。
 
そして、お祖父さんのお墓へ。ちなみにこのお祖父さんの誕生日と私の弟の誕生日は同じ月日です。オモシロイですね。
 
そして、家紋。なな、なんと!母方と父方「同じ家紋」ではないですか!
 
家紋って意外と種類が少ないのかも・・・、と思って周りのお墓を見回してみるのですが、みんな違う家紋が彫ってあるんですね。後で家に帰ってから調べて見たら、以外と種類はかなり多いようです。
 
しかし、そうなってくると、今度は同じと思った2つの家紋が本当に完全に同じなのか、微妙に少し違うのかが解らなく鳴ってきました。頭で記憶しての比較だったので。ただ、ほぼ同じであったことには違いありません。
 
円形に葉っぱが3枚とその間に剣(?)が3本デザインされているものです。配置としては徳川家の三つ葉葵の紋のイメージです。
 
この三つ葉を線で繋いだ三角と、剣を線で繋いだ三角を描くとそれは六芒星になります。ユダヤ民族を象徴するダビデの星です。ただ、これがユダヤの専売特許という訳ではありませんが。
 
さらに、この地域は昔は被差別部落が点在していたようなのです。なぜ、彼らは差別されたのか?宇野正美さんの説によると、全てではありませんが宗教上の理由から日本に渡ってきた一部のユダヤ人の人々が差別されたのだとされています。
 
さらに、家紋と姓との関係もある程度の傾向としてはあるようで、姓についても調べて見ました。確定的なことは言えませんが、どうも私の姓、つまり父方の流れは尾張において織田家を支えていた一族の流れにあるようです。さらにはそこから、楠木正成などの一族へと遡るようです。
 
楠木正成と言えば南北朝時代南朝を支え、大楠公として天皇を支えた英雄的な扱いを受けています。
 
こうして考えていくと、私が神道天皇古代イスラエルユダヤ)などに興味を引かれてきたのもあながち単なる偶然ではないのかも知れませんね。
 
さて、そうしたお祖父さん(もちろんお祖母さんも含む先祖代々)のお墓参りを済ませた後は、杉の木々や巨木に囲まれた石段の山道を登ってきました。
 
寄り道をしたせいで、日没との時間的関係からあまりノンビリとは行けませんでしたが、巨木に手を当ててその気を感じながら、ゆったりとしたペースで奥山の霊気を楽しんでくることが出来ました。