アセンションの時代

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「エーテル体」そして「アストラル体」?

瞑想等で外から「気」を吸収していると、時々、気が満タンになってもう入ってこなくなるような感覚があります。
 
実際には満タンではなく、何か引っかかったような感じで吸収する流れが止まってしまったのだと思うのですが、とにかく詰まったように流れが止まることがあるんです。
 
この「気」の感覚をエーテル体というのかなぁ?と感じているのですが、このようにエーテル体の流れが詰まってしまった時に、みぞおち辺りにさらに上の波動体をイメージしてみるのです。
 
正確には違っているかも知れませんが、イメージ的に肉体を第3密度、エーテル体を第4密度、アストラル体を第5密度とイメージします。正確には違っているのかどうかわかりませんが、あくまでもイメージとしてより上の密度をイメージするという事です。
 
そうすると詰まっていた気の流れがスーッとそこに吸い込まれていきます。エーテル体では吸収するとある程度貯まっていく感覚があるのですが、アストラル体では吸い込まれると消えてしまったように何も感じなくなります。
 
額や手の平の上に感じていた気も、体内に感じていた気も、綺麗サッパリにそこに吸い込まれて感覚がなくなってしまいます。それはブラックホールのようです。
 
貯まっていく感覚があると、貯めがいがあるというものですが、あるもの全てを吸い込んで何も感じなくなってしまうのですから、ちょっとしっくり来ない感じがあります。
 
貯まっている気を流し込んで終わりという感じなので、アストラル体に流し込むと同時に外から気を吸収していけば効率が良いですし、実際それも可能で出来るのですが、ハッキリと自覚できる感覚としてはまだ昨日今日くらいからの事なので、これからまたボチボチと試していきたいと思います。
 
どうなっていくんでしょうか?楽しみです。
 
私は20歳の頃に、幽体離脱をしかけたことがあるんです。昼寝をしていて、仰向けに寝ている身体から霊体が天井の方に半分ズレたんです。ビックリして凄く驚き興味がわいたのですが、戻れなくなったらどうしようと恐怖がわいた瞬間に元に戻ったんです。
 
それが結構残念で、ちょっと勿体なかったなという思いが時々思い出されるんですよね。
 
こうした気の感覚がどんどん進んで行けば、幽体離脱出来ないかなぁという思いもあるんですが、あまりそれぞれの感覚がイメージにおいてきれいに繋がらないですね。
 
いずれにしても、気の感覚が完全に日常的な感覚になってしまいました。動いているとさすがに、身体的感覚が強くて気の感覚がわからなくなりますが、止まっていれば完全に日常的な感覚です。
 
これで、何か超能力的な芸が出来るととてもオモシロイのですが、なぜ何も出来ないのでしょうか?別に文句はありませんが、なぜ出来ないのか不思議です。もっと気を貯め込むと良いのかなぁ?
 
中国では気を自分の中に貯めるという考えのようで、一部の人はせっかく貯めた気を、治療的な形で外へ出すことを嫌うそうですが、本当に凄い人は外から取り込んだ気をそのまま人へ流し込むから、自分の気が減ることは無いそうです。
 
でも、気功ではエーテル体・アストラル体のように2段構造の考え方は内容に思うのですが、もしかしたら2段構造ではなくて他の認識の仕方が正解なのかも知れません。だけど、今はその考え方がシックリ来ますので、そのイメージで進んで行く予定ですが。
 
楽しみです。