アセンションの時代

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アセンションについての1つのイメージ

アセンションにおける1つの感覚的なイメージについて、フッと感じるところがあったので参考までに書いてみます。
 
「こうである!」というものではなく、何となくそんな感じがしたという程度のことですので参考程度に読んで頂いて、あとは各自の思いや感覚でさらなる探求をしてみて下さい。
 
物理的間隔におけるアセンションと言うものを、私達はなかなかうまくイメージすることが出来ません。
 
今回の人生においては、これまで五感が全てくらいに強い存在感を示してきていたので、それ以外の次元を越えた感覚というのがイメージしにくいのはみんな同じなのではないかと思います。
 
そこで、ちょっと例えをあげてみたいと思います。
 
私達の肉体は、これまで真空パックされたスポンジのようなものでした。
 
つまり、その内側の世界において外界と完全に分離されており、そこに閉じ込められているものもペチャンコで絶対量が少なかった訳なのです。
 
ところが、現在はそのスポンジ(肉体)をパックして外界と遮断してきたビニールが薄くなり、穴が開き始めているのです。
 
その穴から少しずつ空気がスポンジ内へと入り始めています。それが、私達の肉体の中に流入する、私がいつも表現しているところの「気」というものです。
 
スポンジと外界を遮断して分離していたビニール(分離社会の固定観念)は薄くなり消え始めています。そのために、スポンジ(私達自身)が不自然に抵抗さえしなければ自然に空気(気)がその内へと流れ込んでくるのです。
 
空気はまず、スポンジの内側へと流れ込み、そこが充分に満たされると空気はスポンジの内へ外へと行き来しはじめます。
 
私達は気の感覚において世界と一体化したというような感じです。
 
空気を水に変えたらもっとイメージしやすいかもしれませんね。アセンションとは真空パックのスポンジから水に浸ったスポンジとなり、水中(気の海)において世界と一体化するのです。
 
そんなイメージで、実際の流れの一例を書いてみます。
 
まず、身体の感覚が気に対して敏感になり、外界から肉体内へと気が流入し始めます。
身体内の気がある程度の容量に達する過程において、その感覚は強くなり、流出入の感覚が大きく広がってきます。
身体内がほぼ気で満たされると、それまでの流出入の感覚から安定して内と外の気が繋がり一体となった感覚になります。
 
私がイメージできるのは取りあえずここまでです。あとは、今後のお楽しみです。
 
それから、これは絶対的なものではないと思っています。誰もがこの様な過程を経るものではなく、私のように「気」というものに関心を持たない人であれば、例えばこれに似た過程を「目まい」として感じるのかも知れませんし、それさえも意識せずに通過していく人もいるかもしれません。
 
先日の、「ダブルパラレルワールド」の記事にも書いたように、そうした感覚は画一的なものではなくあくまでもその人その人次第なのです。
 
だから、私が書いたのは単なる一例なのです。
 
同じように感じないからアセンション出来ないかも知れないと、焦ったり落ち込んだりする必要はまったくないのです。
 
ただ、自らの心がまだ「調和思考」に向かいきっていない人は、「焦って下さい」。ハッキリと言っておきますが、未だに「分離思考」に囚われた人々に残された時間は少ないのです。
 
アセンションライン上でウロウロしている人で、未だにアセンションに対してプレーヤーで無く観客を決め込んでいる人達も「焦って下さい」。
 
既に今回のアセンションにおいては、次元上昇をせずにもう1サイクル、分離の次元世界を体験することを決定している魂もたくさんあるのです。それはそれで、問題は無いのです。その人々は、自分に必要な環境を選択したという事で尊重されるべき事であり、それが落ちこぼれでも何でもないのです。ただ、それを欲し、それを選択したというだけの事です。
 
問題は、魂のレベルにおいてアセンションを選択肢ながらも、この実世界において未だにモタモタとしている人々です。
 
今その場所で調和を選択すれば良いのです。今もです。今もです。今もです。
 
その瞬間、瞬間に常に調和を選択するだけの事なのです。
 
私?それが出来てるかって?・・・・(笑)
 
そりゃぁ・・・、充分には出来てないですよ。人間ですからね、当たり前ですよ。
 
大切なのは調和を求めることの重要性に気付き、そうある努力を重ねるという事なのです。
 
・・・と書いて気付いたけれど、ちょっと自分に突っ込みます。
 
「努力を重ねる」というのは、本当は真理からは外れた行為なんです。
 
「調和的である努力をする」は、唯一存在する時間、この瞬間において「私は調和的でありません」と宣言している事になるのです。
 
では、どうしたら良いのか?
 
ただ、「調和」であれば良いのです。それが真理です。
 
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