アセンションの時代

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「現象」と「精神」の主導権逆転

最近、現象と精神の関係が、その影響パターンにおいて逆転してきました。
 
逆転してみて思うのは、「これまで、四次元時空にどっぷりと浸りきっていたんだなぁ。」という事です。
 
つまり、現象があって精神が反応するという、「現象→精神(の反応)」というパターンが成り立っていたんです。
 
「お金を受け取る→嬉しい」というように、まず現象があってそれに精神が反応するというパターンに染まっていたんですね。これまでの世界ではあまりにも当たり前のパターンと言えるかも知れません。
 
しかし、最近になってフと気が付いてみると、そのパターンが変わりつつある、逆転してきているのです。
 
「楽しい→楽しいことが起きる」
 
私は子供のころから、「空を見上げるだけで楽しくなる」「風に吹かれるだけで楽しくなる」そういう大人になりたいと思っていました。
 
それは、空を見上げて雲の形や動き、太陽の光の具合等から季節の移ろいを感じ、天気の変化を想像する。星空を見上げれば、宇宙の雄大さ、ドラマチックな天体現象、神話の世界へとワクワクドキドキの興味が果てしなく広がる。
 
とにかく何を見ても何を感じても、この世界を楽しく満喫したいという思いが強かったのです。
 
そう考えてみると、子供のころから物事に精神を振り回されることを嫌い、物事として何が起こっても、知識や想像力で心をコントロールしていきたいという傾向はあったみたいですね。
 
その思いの強さの違いはあるものの、誰にでもそうした思いがあるのだろうとは思いますが。
 
それで、その思いがそのままに実現されてきたのかというと、似ているけれど、ちょっとそれとは違うような感じです。いや、違わないかも知れませんが、子供の時にイメージしていたよりも少し精神的に深いところでコントロール出来てきているような感じが生まれ始めています。
 
色々な事にワクワク興味を持つことが出来るようになると、そのワクワクの対象があらゆるものに拡大していき、やがてそれは自分が今ここに存在しているという事実、それだけで既に強い喜びを感じるようになってくるんですね。
 
そうすると、自分というものが喜んでいる存在になってくるんです。
 
念のために言っておきますが、私がいまそうした完全な理想形を実現しているというのではありません。ストレスを感じることもありますし、ある意味においてはクセがあり普通に悩める小市民ですから。ただ、色々と試行錯誤して生きてきた中で、そういう理想形の雰囲気を自分なりに感じつつあるという感じです。
 
いずれにしても、この世界の森羅万象の神秘を思えば、興味が湧かずワクワクしない事柄など何もないのです。それに気づけば、何を見ても、何を感じても、ワクワクせずにはいられないはずなのです。
 
この状態をイメージしてみてください。
 
現象として日常に何が起きても、ワクワクする事しか出来ないのです。そんなのは詭弁であり、非現実的だと思われるかも知れません。私もこの次元世界のこれまでの常識の中で生きてきましたし、そう言いたくなる気持ちも良く解ります。
 
「それは詭弁だ」とあなたが決定すれば、あなたにとってはそれが真実になります。それを私が否定することは出来ません。
 
「それは非現実的だ」とあなたが決定すれば、あなたにとってはそれが真実になります。それを私が覆すことは出来ません。
 
もし、あなたが「詭弁」「非現実的」と考えるのであれば、私はそれを否定しません。それは「あなたにとっての」真実なのです。むしろ私はそれを、「あなたにとっての」真実と肯定します。
 
私が言いたいのは、私たち各個人というのは、自分の世界のあらゆるものに対して、それほどまでに絶対的な決定権を有しているのだということなのです。
 
「詭弁」と決めれば「詭弁」。「非現実的」と決めれば「非現実的」。それは真実です。私はそれを否定しません。
 
私が言っているのは、そういう決定の中に、「自分の存在、その全てが驚異的であり喜びである」という選択肢があるという事を言っているのです。
 
ただ、誰でもその選択肢を選択出来る訳ではないのですね。
 
例えば、生命は偶然に誕生して、次元の異なる世界など存在しないし、ましてやそこに神や霊など存在しない。命は肉体が死んでしまえばそれでお終いで、無に帰する。
 
そういう世界観の人が、この選択肢を選択することにはあまりにも無理がありすぎます。
 
この選択肢を選択するためには、最低限の「気付き」が必要なのです。
 
命の永遠性、多次元的な世界の存在、神などの存在に気づかなければ選択不能な選択肢なのです。
 
これまで地球上に展開されてきた世界は、一部の悪意ある人々による、壮大にして強力なマインドコントロール社会であったのだと気づくこと。私たちは肉体をこえた永遠の存在であり、神の一部なのだということ気づくことは、今や前へ進むための最低限の気づきともいえるかも知れません。
 
全ては「一なるもの」として存在しているんですね。
 
1つの切っ掛けからその矛盾に気づきひっくり返す事が出来れば、意外とドミノ倒しのようにあらゆる矛盾に気づきだせるものです。
 
そうしたしっかりとした世界観の上に、「存在の全てが喜びである」という選択肢を選択すれば、現象世界の出来事はもうそれに従ってくるしかないという事です。
 
自然現象でも社会現象でも、その現象はより高い次元からの意志の表現である訳ですから、見えるものに振り回されずその本質を正しく理解できたのなら、何も問題があるはずはないのです。
 
う~ん、この記事は書こうと思ったことがうまく書けなかったなぁ。ちょっと、スッキリしない感じ。(笑)
 
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