アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

「やる気」を植え付ける事は出来ない&愚痴

大人が子供に接する時に良く見られる光景に、「子供のやる気」を否定して「大人のやる気」を移植しようとする大人からの働き掛けがあります。
 
しかし、これは「確実に不可能」な働きかけなんですね。
 
子供(子供に限りませんが)のやる気を否定して、自分のやる気のコピーをその人に植え付けようなんて100%不可能な事なんです。
 
私たちに出来ることは、「子供のやる気の形」を見つけ出して、子供にとって望ましい方向へと「導く」ことだけなのです。
 
子供のやる気を否定して子供がイキイキと育つことは不可能ではないでしょうか。大人のやる気を押し付けて、強く丈夫に育つことも不可能に思えます。
 
子供のやる気の形をしっかりと把握して、そのやる気が育ちやすいように環境を整えてあげて、その成長が子供にとって良い方向へと伸びていくように「導いて」あげる事が大切なのだと感じています。
 
「やる気」も「育つ力」も、当人の内側から湧き上がってくるものなんですね。それを否定して、大人の都合と理屈理論で、大人の押し付けのやる気を与えたのなら、子供のやる気と成長力はどこへ行ったら良いのでしょうか?
 
私が完璧にそれを出来ている訳ではありません。
 
ただ、子供の事を本当に大切に思いながらも、その表現方法が間違っているという現実があまりにも多いように感じられたので、ちょっと書いてみました。
 
こうしたことは、今後急速に社会全体で改められていく事の一例だと思っています。きっと、良い時代に向かって、色々な事が急激に改められはじめると思います。
 
冬は仕事がかなり忙しい時期であるところに、今年はさらに離婚についても本格的に動き出しており、スーパーハードなチャレンジの、まるで試験のような冬になりそうです。
 
この状況をうまく乗り切れたのなら、余程の困難でも鼻歌交じりに乗り越えていけそうです。
 
子供も表面では楽しそうにしていても、状況ひとつで不安が爆発しそうで、その爆発もうまくこなしてガス抜きしながらうまく導いていかなければならないです。
 
両親も、突然に不安定な環境の二人の孫が舞い込んできて、精神的に疲労感が感じられるので、話し相手になって安心させて、実際に子供とのふれあいでそれを証明して見せていかなければならないし・・・。
 
親にしてみれば、子供(私)さえしっかり問題なくやってくれていれば、そもそもこんな心配をする必要も無かったというところで、申し訳ない限りですが仕方ありません。がんばってもらいましょう。(笑)
 
嫁と相手方の親とはそれぞれに電話で話すことがあり、拗れさせて面倒を誘発させては最悪なので、何とか理解を示して、でも重要ポイントだけは絶対に妥協せず。言葉一つで簡単に爆発する不安定感の中での会話は、かなり気をつかいます。
 
明日から仕事ですが、スタートからかなりハードです。今年はさらに上乗せで、関係者の声を受けて1月中旬に余計な仕事を1つ入れてしまったので、その準備調整等で仕事ひとつとっても例年以上にハードです。
 
年末の件で、警察署と市役所へお礼に行っておきたいところですが、行けるかどうか・・・、何とか行っておきたい所ですが。
 
弁護士にも連絡を取って依頼しないといけないし。近所にはそんな人はいないので、隣町で弁護士を探して依頼することになるのですが・・・・。平日の昼間。どこにそんな時間があるんだ?でも、とにかく早急にやるから、子供に会いには来ないで欲しいという事で嫁を止めてあるので、何とかしないと乗り込んでくるかもしれないし・・・。
 
実家で親と子供が四六時中いっしょにいると親が参ってしまうと思い、子供部屋を確保するために荷物の山と格闘していたけれど、自分以外の物が片付かない。また、子供が籠って思い悩みだしても困るし・・・。とにかく、学校が始まってほしい・・・、けれど、冬休みの宿題が嫁のところで、学校にも説明しなければいけないし。
 
今日は、子供たちは親と一緒に親戚へお年玉回収に出かけています。(笑)
 
私はもう少ししたら、神社の禰宜番の仕事で片づけに行ってきます。これから、毎月、月次祭+αの行事へ出なければなりません。
 
オマケに地区の総代も、3月いっぱいまであるので、今月は回覧をまわす事に加えて、戦没者慰霊祭と新年会とその買い出しまで頼まれています。なぜか区長さんに頼まれやすく、今年1年の事なので区長さんも頼みやすい人がいれば助かるだろうと思って、まあいいやと思って引き受けてきましたが、状況がこうなってくるとやっぱり断りたい所ですが、まあ、それは次からの事にします。
 
さらに2月は地区の集会所の掃除があり、班の人を集めて2回掃除をしなければならなかったりするんですね。そういう訳で1月にはそのための案内文を作ってまわさなければならなかったり、交通当番もそろそろ順番が来るころなのですね。
 
驚くべきことに、私は未だに携帯電話を持っていないのです。うるさいから持ちたくなかったのですが、こうなってくると持っていないと逆に不安で、持たざるを得なくなりそうです。
 
明日から、仕事ですが子供と離れている時間がかなり不安です。自分がそこにいればパッと対応を取れるとしても、親にそれを求めることは出来ません。親は親で、息子からのトバッチリに対してベストを尽くしてくれているので、本当に感謝です。難しい状況では愚痴も出てしまいますが。(笑)
 
しかも、母親はまだ仕事をしてるんですね。父親は中旬に1週間以上、私の弟のところへ旅行に出かけてしまう予定になってるんですね。行くなとは言えませんよ。愚痴ばっかり言ってる父親の、珍しく前向きな大きな楽しみなのですから。
 
だけど、で・・・、どうなるんだろう?
 
な~んて、愚痴を挙げ連ねて状況整理してみましたが、実は実際にピンチな状況ほどにはピンチだとは思っていません。年末から始まって、一般的な基準からはすでに何度かかなりのピンチを迎えておりますが、今のところは周りの全てに支えられて、我ながらうまく流れに流されているなぁとその波乗りを楽しんでおります。
 
実はそうした危機の波乗りの中で、「気」の力を実用し始めています。第三者の目から見てもその効果がハッキリと感じられるかと言われれば、それは難しいかも知れませんが、自分としてはそれなりの手ごたえを感じています。
 
かなりストレス的な環境におかれているのかも知れませんが、ストレスは本当に見事なほどまったく感じていません。これが、本当なんです。意地・見得・精神の緊張の糸が切れない様にとか、そういう事ではなくて、本当に心の底からストレスのスの字も無いんです。
 
食欲満点、寝つき抜群、目覚め快適です。
 
家族といることが楽しいし、子供部屋確保のために部屋を片付けているといろいろなものが出てきて懐かしいです。
 
我ながら意外と強いなぁと思いながら感じたことは、「今という瞬間に集中する」事が出来ているような気がするんですね。今日は先のイベントを並べて状況整理してみましたが、別にそれに囚われていることはないんですね。まったく。
 
それから「表層に囚われず、本質に目を向ける」事に徹底できているみたいです。
 
まあでも、スーパーハードな時間は始まったばかり、しかも今日までは仕事が休みですからね。だからこうして余裕を持ったウンチクもたれていられるのかも知れませんね。
 
さて、今からが本当にお手並み拝見の時間です。
 
さて、君(自分)はどういう状態でこの波を乗り越えていけるのかな?
 
嫁に鍛えてもらって10年以上。紛れもなくこれは、私の覚醒具合に対してとりあえず一区切りとなる最終試験だと思っています。そういう意味で、ある意味私が学び感じ取ってきたスピリチュアルなものに対する第2章の最終試験だと思います。
 
第1章の最終試験は20歳の時にありました。そうすると第3章は60歳かな?(笑)
 
この余裕が無くなったところからが本当の勝負かも知れませんね。ああ、ちょっと緊張してきた。(笑)
 
では、時間もよろしいようで、今から神社の片づけに行ってきます。そのあとは、隣町の古本屋へ子供の本を買いに行く予定です。児童文学系の本とマンガとを。
 
イメージ 1
 
 
 
↑ つまらない話でしたが、よろしくお願いします。