アセンションの時代

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何をしたら良いのか

成すべき事は何か?
 
誰でもが、今のこの時代にやるべき事があると思うのです。それは、万人に共通したことではなく、それぞれ各自が命のより深いところから自分に課した課題なのではないでしょうか。
 
私は自分がやるべき事は、取りあえず「ヒーリング」なのではないかと感じています。
 
最も盛んなところではアメリカで言う「レイキ(霊気で日本発)」、ヨーロッパでの「ヒーリング」、中国での「気功療法」、日本での「神霊療法」「手かざし」等と言った感じになると思います。
 
どうもこうして見てみると、日本の「神霊療法」「手かざし」というのはなぜか胡散臭さがついて回ります。目に見えない分野であるだけに、詐欺的な行為がついて回るのと、社会全体が科学万能思想を全面に打ち出してきていただけに認めてはいけないという雰囲気が社会全体に浸透していた事もあると思います。
 
ただ、レイキ・ヒーリング・気功などと外国の言葉に置き換えるとそうした抵抗が和らぐのは文明開化以降の日本人のサガなのでしょうか。
 
以前、気功療法について学ぼうと思って、信頼の置ける所へメールで取り合わせをしたことがあったんですね。だけど、ホームページの不具合ということで、お詫びと伴に数ヶ月後に回答が来たのです。
 
その間に、いずれにしても今回は縁がなかったな、自分の気の能力的にも時期尚早だろうしと考えて見送ったんですね。
 
だけど、それから2年くらいたって、気の感覚的にはそこそこ基礎的な力がついてきたんじゃないかと思えるくらいになってきたので、そろそろ勉強して見ようかと思っています。
 
ただ、それをメインにしたくはないんですね。
 
別にキリストと比較する訳ではないのですが、その本質的な問題として例を挙げると、キリストは手をかざして多くの人々を癒して奇跡を起こしているのですが、結局、人々はその能力にばかり関心を示して、それに裏付けられる人生の仕組みやこの世の真理にはまるで無頓着で、彼は大衆に失望しているんですね。
 
キリストが求めたのは、人々がそうした現象から真理を学び、自らの力でその人生を有意義に体験していく事だったんですね。
 
しかし、人々はそうは動かなかった。
 
また、同様な問題は「ひふみ神示」の中でも指摘されています。
 
「ひむかのお役」というのがあります。日に向かわせる、つまり大衆を神(真理)の方向へと導く役割をになった人のことを示します。
 
これらの人々は「気」の力で人々を癒していくのですが、1つ1つの個別の身体的な病を癒していくのが本当の役割ではないんですね。
 
そうした行為を通して、人間の集合意識に取りついた分離的な物質主義的思考を癒していく事こそが本来の役割なんですね。
 
まあ、頑張れば「変人」「詐欺師」等の数々の称号が得られるものと思われます。(笑)
 
は~ぁ、バカみたい。何でそんなことを勉強して見たいんだろう。
 
今、父がちょっと調子悪いんですね。「夜寝れない」ってよく言うんです。手をかざして気を送れば寝付けると思うんですね。だけど、そんなことを父に言ったらもの凄いアレルギー反応を示すんですね。精神的に。大声で「頼むでやめてくれ。くだらんっ!」ってね。
 
母親は精神的には柔軟性がある人ではあるのですが、それでもやはりアレルギー反応を示します。
 
だから、あまり酷く寝られないと言うときだけ隣の部屋からテレビの前で座椅子に寝転んでる父に気を送るんですね。父には分からないように。そして、母にこう言うんです。「おまじないをかけておいたから、明日の朝、寝れたかどうか確認してね。」と。
 
5~6回やりましたが、今のところは全部、翌朝には寝られたと言っています。偶然かも知れません。その可能性は否定しません。
 
ただ、私が言いたいのは、偶然でないとしても例え人のためであったとしても、目に見えない「気」に対する偏見というのはかくも強いものなのですね。
 
だから、ヒーリングを学んでもそれを望む人達にやるのであって、押しつけでやることは無い訳なのですが、何にしても肩身の狭いジャンルですよね。