アセンションの時代

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悩むことって意外と難しい?

今日は昼から有給休暇をとって、妻との問題に関連してちょっと話し合いの場に出かけてきました。
 
法律も絡んだ話し合いの場で特に何も考えずにヒョイと行ってきた訳ですが、良いも悪いもだいたい「そんなとこだろうね」といった感じでした。
 
1つ悪い意味から言えば、やっぱり法律が入ってくると「良い悪い」の判断ではなくて「法律に適しているか反しているか」の判断になってくるんですね。
 
だから、家事放棄・子育て放棄・ネットショッピング中毒・複数のカードローンの状態からアパートを借りて出て行った妻であっても、「当たり前に」生活費を援助しなければならないんですね。しかも、その援助したお金が生活に使われるか遊びに使われるかは問題ではなく、いきなりこちらにいくら出せるか?という話なんですね。
 
これは、相手(妻)の立場からの意見でもあるのですが、法律の立場からであってもそれを支持するんですね。家事放棄だネットショッピング中毒だなとどいう事は法律で規定して認定できるようなことではなく、またそれをちょっとやそっとで証明できるものでもないんですね。
 
だから、法律は相互扶助として金銭数字的な部分だけをうたうのです。
 
まっ、しょうがないですね。(苦笑)
 
1つ良い意味から言えば、とりあえずそうした問題を認識している人もいるということですね。だけど、認識してもそれを勘案しだしたら、その人たちは役割を果たせなくなるわけで、やれやれです。
 
まあ、とりあえず今日は特に波乱無く行ってくることが出来ました。
 
逆に漠然とそんな感じだろうなと思っていたことが確認できたことで、モヤモヤとした感じが晴れて今後の方向性が自分の中でハッキリと見えてきました。
 
もうなんか、最近は怖いものなし状態に染まってきています。
 
どちらにどう転んでも別にあまりたいした問題ではなくなってきている感じです。
 
ネガティブな関係にある相手のこと、金銭的なこと等々、ほとんど興味なくなってます。以前は色々とそうしたことに思い悩んだりしていた訳で、我ながら「本当に想像力豊かだったなぁ」って思います。何でそんなつまらない問題に入り込んで悩むことが出来たんだろうって、今になってみると不思議な感じがします。
 
悩むって事は、ある意味、興味の無いことに意識を集中するって事ですから、それがいかに無意味かということに気づいてしまうと、悩むことが出来なくなってくるような気がします。
 
環境によっては、ふとこれまでの習慣が顔を出して悩んでしまっても、自分の中にそうした考えが出来てくると、ヤッパリ無意味でネガティブな事に集中してもしょうがないじゃんって直ぐに気づくんですね。
 
いやいや、意識してなかったけれど、こうして考えてみると俺ってかなり進化してるかも。(笑)
 
それとも壊れ始めてるのか?(笑)
 
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