アセンションの時代

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調和する石段

今日は有給休暇を取って、自動車で片道1時間30分くらいの愛知県新城市鳳来寺山へ行ってきました。
 
何度も言ったことのあるお気に入りの山ですが・・・・、全然この山の魅力を解っていなかったみたいです。
 
これまで鳳来寺山と言えば、山のふもとから続く長い表参道の石段を登って、山の上のお寺まで行って帰ってくるというのがお決まりのコース。
 
しかし、今回の最大の目的は、自然の中で自らの「気」を高める事。従って、いつものんびりと休み休み歩く私ですが、今日はさらにわき道にそれたり、細く急な川の流れを覗き込んだり、大岩の下を覗き込んだり、絶壁の上からすぐ頭上を流れていく雲と眼下の風景を眺めてみたりと、思いっきり満喫してきました。
 
ただ、山上のお寺・神社・断崖絶壁の崖の上までは言ったのですが、鳳来寺山の山頂の方までグルッと周るだけの時間が無くなってしまい、また近いうちに早朝出発の1日コースでジックリと行ってきたいと思っています。
 
そんな訳で今日は4時間も石段と細道を歩いていた訳なのですが、山上のお寺周辺を歩いていてふと気付いたことがあります。
 
いかにも自然の石を並べたような、凸凹とした石段を延々と登って行ったのですが、思ったほど疲れることもなく意外と体力あるのかな?と思ったりしていたのですが・・・・、カチッと画一的で直線的な階段になったとたんに、いきなり足全体にかなりの疲労感。
 
そして、また凸凹な石段になると、その疲労感が消えていくのです。
 
そこで考えたのですが、これはおそらく画一的な階段では使われる足の筋肉がまったく同じ部分の繰り返し。
 
それに比べて、凸凹の石段では、足の裏の重心のポイントや歩幅の違いによる脚への力の入り具合の違いなど、まんべんなく色々な筋肉を使っているんですね。
 
さらには今日は雨上がりで、上りだした時間にはまだ軽く雨がぱらついていたのですが、水たまりに困ることはありませんでした。
 
のぼり始めの緩やかな石段では、1段上ると数メートル平らな状態でそこは池のような水たまりになっていたのですが、ちゃんと飛び石が縦に1列に並んでいて濡れないように歩いていけるんですね。
 
従って、自然の山としても保水力を保っている訳です。落ち葉は自然と脇に溜まり、そこで腐って土へとかえる。
 
自然の中を延び進んでいくその石段の風景は、まさに芸術的ですね。途中からは天気も良くなり、明るい木漏れ日の差し込むその風景は、テレビで見かけるハイビジョンの風景映像のリアル版です。
 
何百年という歳月を超えて生き続けるその石段は、まさに文化水準の高さを物語っています。
 
・・・・、それに比べて現代文明ときたら、造っては壊し造っては壊し・・・・。もちろん全否定はしませんが、これじゃあ、地球も悲鳴を上げるわけだ。
 
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