アセンションの時代

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法則は繋がりあっている

「全ての出来事に意味は無い。これは、神からの最大の贈りものである。」と、バシャールは言っています。これは、「神との対話」でも同様に言われていることです。
 
私はこれまでこれに納得して、色々な出来事にポジティブな意味を与えるように心がけて来ました。
 
意識的にはこのように、ポジティブな意味を与えることによって確かに良い方向に向かっているなと感じるところまでにとどまっていました。
 
しかし今朝、この考えが「引き寄せの法則」や「誰もが自らの人生の創造主」という考え方に繋がって来た感じがしています。
 
それはまた、「人は自ら与えるものを与えられる」という考えにも繋がってくるような気がします。
 
「全ての現象に意味はありません」。従って、人は自らの人生に起こるあらゆる出来事に、「自ら創造」した意味を与えていきます。
 
すると、同じ1つの現象に対しても、ラッキーであるという意味(解釈)を与えれば幸運な人としての人生が与えられます。逆に自分はアンラッキーだという意味を与えれば、不運な人としての人生が与えられます。
 
つまり、「自ら与えたものを与えられる」事になるのです。
 
こうして、意味のない現象にポジティブあるいはネガティブな意味を与え続けていくと、人生そのものがポジティブな人生あるいはネガティブな人生へと向かっていきます。
 
自らの創造によって与えた意味(解釈)によって、単独の現象から徐々に人生そのものが創造したとおりに引き寄せられてくるのです。
 
そうすると、ポジティブな発想の人はますますその傾向が強化されていき、ますますポジティブな人生が引き寄せられてきて、ネガティブな人はその逆になっていきます。
 
はじめのうちは、その意味づけによってどういう結果が引き寄せられてくるかまでは想像することが出来ませんので、「自らが人生の創造主」であるという考え方はいくらなんでも大袈裟に感じられます。せいぜいその場限りの気分的な効果で満足するにとどまります。
 
しかし自らの意味づけが、先々になって何を自分の人生に引き寄せてくるかが具体的な方向性として掴めはじめると、それは確かに「創造主」という表現もあながちデタラメではないという風に感じられてくるような気がして来ました。