アセンションの時代

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リミッター解除

皆さんは、習慣的に瞑想をしていますでしょうか?五感を閉ざして、五感以外の世界に集中するという事は、今の時代においてはとても大切でありワクワクする発見の多い事だと思っています。
 
はじめは時々、小さな気づきや感覚を得ながらそれが積み重なり、さらなる気づきや感覚を引き寄せてそのスピードは徐々に加速を始めます。
 
私の場合は、最近では胡坐をかいて手を組むような一般的な形での瞑想よりは、むしろ自然の中を散策しながら瞑想します。瞑想とは現世的な思考を停止して、内なる世界を思い感じる事であり、形・ポーズでするものではないんですね。
 
だから、胡坐をかいて座っていても、椅子にゆったりと腰かけていても、ゴロリと寝転がっていても、散策しながらでも瞑想は出来る訳なんですね。
 
ただ、私の経験からは、絶対ではありませんが気を感じる上では背筋を伸ばしている方が良いです。それから、はじめのうちは散策のように動きながらではなくて、ジッとした状態での方が集中できると思います。
 
ただ、自然の中を散策して自然を感じるということは、瞑想的要素が小さくてもそれはそれでとても良い事だと思います。広義で捉えるならそれも瞑想と言って差し支えないのかも知れません。
 
さて、そんな訳で、今朝も森の中へ散策に行ってきました。今日は全国的に嵐が来るとの予報でしたが、まだ散策には支障はありませんでした。
 
日々、気の領域が拡大していることに我ながら驚かされています。
 
私の考えでは取りあえず目先は、絶対的な気の感覚の増強が主題であって、それをコントロールするような技巧的なテクニックはもう少し先で焦らなくても良いと思っています。
 
技巧に走ると、細かな事をいろいろと気にしだして、結局は小さくまとまろうとしてしまう傾向が出てくるのではないかと心配しているのです。
 
私が今、感じている可能性というのは、かなり突拍子もないレベルのものです。
 
それが出来るか出来ないかを、「必要以上に考え」なくて良いと思うんですね。自分の世界観に照らし合わせて出来ると思えばそれで良いんですね。
 
一般的に多くの場合は、それを「常識」と照らし合わせて常識に軍配を上げてしまう。
 
そういう時代はもう終わってるんですね。終わろうとしているんじゃなくて、終わっているんですね。エネルギー環境的には。
 
「常識」というリミッターは、解除され消去しているんです。ただ、私たちがその残骸にしがみ付いているだけなんですね。リミッターを解除しようと必死に努力する必要はないんです。リミッターは既に解除・消去されているんです。
 
「こうでなければいけない」という、過去のエネルギー環境において慣れ親しみ今なお必死にしがみついているその「常識」という残骸を手放しさえすれば、リミッターが解除された新世界が自然と染み込んでくると思うのです。
 
私の場合は「気」の感覚においてそれを感じていますが、他にも人それぞれ色々な感覚があると思います。
 
それは別に、押し付けのようにみんなにアピールするものではありません。しかし、こうして興味のある人たちから徐々にそんな世界を共有しあっていけたら良いですよね。
 
ぶっちゃけた話し、日常的にこんな話しを出したら変人扱い間違いなしですからね。大切で興味深い情報であっても、押し売りはお互いのために良くないでしょうね。
 
それでも時々、しっかりと薄めて相手が受け入れやすい形でチラッと話に出すのは良いでしょうね。結構好きなんですよ。そういう時に相手が話に興味を持ってくれるのが。(笑)