アセンションの時代

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「気功療法」と「霊療法」の違い

先日も記事に書きましたように、気功療法を本格的に学びだそうと思っていたのですが、とても医学的・専門的に細かな知識を教えながら、気の高め方や思想的な部分に物足りなさを感じ、求めているものとあまりにもかけ離れていたために、方向修正して独学で進めることになりました。
 
厳密にその様に区別して良いのかどうかと言うのは何とも言えませんが、一般的な傾向として、「気功療法」は身体と気を細かく結びつけて、身体各所と気の繋がりをとても細かく解釈していきます。
 
それに対して、昭和初期に日本で広まった霊療法(各流派によって言い方は様々)の場合は、物理的身体との結び付けはそこまで徹底してはいないんですね。学術的表現でここと点でポイントを表すのではなく、「痛いところ」にといった感じの表現が普通なんですね。
 
これが、専門用語や人体図などを用いる気功療法に対して、霊療法が大雑把でいい加減、胡散臭いと解釈される傾向にも繋がりやすいのかもしれません。
 
ただ、本質的にはそういう問題ではないと思うんですね。キリストの手当て・手かざしは、そういう視点からは霊療法と同じであったと思いますし、故 長尾弘さんなどはそれなりの専門知識も持たれていたでしょうが、気功療法で言われるまでの知識は必要としていなかったと思います。それでも、ずば抜けた治癒力を発揮していたんですね。
 
こうした違いは、それぞれの歴史によるのだと思います。気功療法は、思想と能力が切り離されるという不運な歴史を持っています。中国という国の政治思想的な理由から、主に道教から広まった気功のテクニックは、思想としての道教と、テクニックとしての気功とに完全に分離させられてしまったのだと読んだことがあります。
 
だから、思想というよりどころを失った気功は、その新たなるよりどころとして学術や技術に接近したと思うのです。
 
かたや神霊療法は、日本の宗教である神道古神道をよりどころとしており、思想的にしっかりとしたものを持っているために、現代医学や必要以上に細かなテクニックに向かう必要があまりないのだと思います。
 
だから、気功療法を学ぼうと思うと、医学的な知識や細かなテクニックがたくさん出てくるんですね。
 
しかし、霊療法の場合はあまり細かくないと思います。様々なテクニックはあるのですが、そんなに細かくないんですね。しかも、自然の法則に基づく思想的な発想が多く、チャネリング情報(神示)についても素直に受け入れている様子がうかがえます。
 
霊療法と言っても、基本は気を高める事にあり、必ずしも療法の技術ばかりを教えるものではありません。
 
念のために、今日の記事に書いた「気功療法」「霊療法」に対するイメージは、必ずしも全てに当てはまるものではないと思います。気功療法も霊療法もそれぞれに、数多くの流派のようなものがあると思いますので、場合によっては今日の記事は当てはまらない事もあると思いますので、大雑把な傾向として捉えていただけたらと思います。
 
いずれにしても、気功療法と霊療法はほとんど同じものだと思っていたのですが、実際に独学を進めるにあたって、実はかなり異なる性質を持っているのだと知りました。
 
そして、私の求めているものは、完璧に霊療法の教えるものであるという事を知りました。
 
イメージ的には問題ありですね(笑)。霊療法を勉強しているなんて言ったら・・・・、想像つきますよね。
 
今朝は、横着をしながら少しだけ呼吸法を試してみたのですが、いい感じですね。ほんの少しだけ頭痛の気配があったので、あまりやりませんでしたが。
 
霊療法の本を読んでいると、現代のチャネリング情報が勧めている事や自分が不思議に思っていた事、知りたいことが多く記されており結構オモシロイです。ただ、昭和初期の手書きの記事や複雑な漢字が読みにくいです。(笑)