アセンションの時代

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「対化の等化」バージョンアップ版

「対化の等化」という考え方があります。
 
相対する2つの価値を対等に、そして一体的に感じ取るという考え方です。私は以前からこれを思考的には持っていたのですが、「シリウス革命」という本を読んでから感覚的なものとして受取はじめています。
 
この世界の全ては「対化の等化」の対象になり、それを全てそのように感じると言う事は全然出来ていないのですが、これまで積極的に「光と意識」を「対化の等化」することに取り組んできました。
 
そもそもが、「光」と「意識」を相対するものとして捉える思考からして画期的な進歩でしたが、これを感覚的に感じつつあるという事がワクワク感を加速させてきました。
 
ただその一方で、確かに入口に手をかけたという実感を感じつつも、まだまだ入口に入りきっていないという物足りなさも同時に感じていました。
 
そして、さらに一歩奥へ踏み込む切っ掛けとして、意識を感覚的に感じ始めたことがあります。
 
その感覚は動いたり変化したりするものではないのですが、後頭部から自分の後ろ側に広がる異空間として感じるものです。
 
ここに対化する感覚が何となく2つ出来てきた感じがします。
 
1つは「光」であり、自分の前方に広がる視覚世界です。
 
もう1つは「意識」であり、自分の後方に広がる影の世界です。
 
これらは1体同一のものであり、相対するものです。影となって光の当たらない「意識」に、「光」を当てて視覚化したのが目の前に広がる現実世界(視覚世界)なのです。
 
それを「感覚」として感じ取ります。
 
「視覚世界」と「意識世界」は、もともと同じ世界の表と裏の関係です。同一の世界を、視点を変えて見ているに過ぎないのです。
 
それをまず前方と後方に感じるのですが、それを自分の中で重ね合わせたいと思っています。
 
しかし、それもある意味においては変な話しで、そんな事をしなくてももともと重なっている気もします。
 
それを分離させてそれぞれに感じ取り、視覚世界は鏡であり、思考世界が本質であるという事をしっかりと認識して思考世界に主導権を返還させた上で、再び統一させる。感覚的にそれを感じるというおまけ付きで。
 
実際問題、これまでの人類は、視覚的世界に主導権を明け渡してしまっていましたから、あるいみそれはアセンションの本質とも言えるのかも知れませんね。