アセンションの時代

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エゴイズムの住み家

これまで私達は、各個人としてアセンションへの歩を進めて来ているわけですが、私達の日常感覚からすれば徐々にだとは思いますが、個と個が繋がりあうという流れが本格化してくるようです。
 
それは瞑想等を通してのエネルギーのネットワーク的な繋がりであり、またはしっかりと現実的に感じ取ることの出来るレベルでの日常的な出会いであったりするのだと思います。
 
私はその2種類の繋がりのどちらにもそれぞれ期待しているのですが、特にエネルギー的な繋がりについて気の感覚の高まりから何か未知の感覚的な変化を期待したりもしています。
 
気の感覚については基本的に未知の感覚世界を歩んできているわけで、人に言ってイメージされるような何かが出来る的なものではないのですが、自分の感覚的には何となくというレベルではなく五感に匹敵するくらいのハッキリとした感覚にまで育ってきています。
 
そうするとどうしてもその感覚の後ろに隠れてついてくるのが、「エゴイズム」なんですね。
 
「自分はみんなより進歩しているんじゃないか」とか「自分はレベル的に高いんじゃないか」とか、それは既に大きなものではなくなってきてはいるのですが、確実に隠れるようにここにあるのです。
 
そうした発想は根本的に低い波動からの発想であり、それは充分に承知しているつもりではあるのですが、この次元で染みついた習性としてなかなか綺麗に消滅してはもらえません。
 
そうした思いを常に抱えてきたなかで、人と繋がりはじめるというステージへの移行を迎えつつありながら、ふと思うところがありました。
 
社会におけるアセンションと言うのは、トップダウン式ではなく、それを選択した人達が全体で底上げされていくタイプで進行して行くと思います。
 
だから役割分担上において、色々な分野にわたって色々な役割が生まれてくるわけであり、だからこそ密接なネットワークの構築が不可欠でありそれが今から進んで行くということなんですね。
 
だから、自分の選んだ分野で多少先行したからと言ってみんながエゴを持ったなら、そこらじゅうがエゴだらけのドングリの背くらべになってしまいます。
 
結局は全体のネットワークに繋がって、その上でもらった役割として機能していくのがもっとも心地よく効率も良い訳なのです。
 
ネットワークが構築されていくという段階にあたってその理解を深めて行けば、いかにエゴに囚われる事がバカバカしいかが良く解ってきます。
 
と言うことで、そろそろエゴ消滅に辿り着きたいものです。
 
ただ、それは自我を否定するものではありません。個性は大切であり、個性こそが自己でもあるとも思っています。ここでのエゴとは、比較によって生み出される自意識過剰な状態のことです。
 
今回はアセンションを選択しなかった人達も、もう少しこれまでの次元をジックリと経験していくことを選択したというだけで、落ちこぼれでも何でもない訳なんですね。
 
私達の根本というのは誰もが例外なく完全なる存在な訳なんですね。それを、色々な経験をして楽しむために、各自が選択した所まで波動を下げて、その制限のなかで経験を生み出しているのです。
 
このアセンションと言うゲームをしっかりと楽しみながら、さて皆さん、私達はボチボチともと来たところへと帰って行きましょうかね。(笑)