アセンションの時代

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グラウンディングとチャネリング

これをグラウンディングと言うのかどうかは良く解らないのですが、私がグラウンディングだと思って体験している感覚を書いてみます。もしかしたら、ずいぶん前にも同じようなことを書いたような気がしないでもないですが、グラウンディングとしてではなく、グラウンディングというものを知るよりも前に、気の感覚拡大過程のイメージとして書いていたかも知れません。よく覚えてませんが。
 
私達の身体を、ビニールで密封されているスポンジだとイメージします。
 
私達はこれまでその状態で、エーテルの雲の中に存在してきました。しかし、この1年くらいの間に、エーテルの雲は銀河系中心部から太陽を経由した高エネルギーの伝達によって、エーテルの海へとその濃度を爆発的に上昇させました。
 
私達を取り巻くエーテルの環境は、雲状から海状へと激変したのです。
 
それでも私達は変わらずに、密封されたビニールの中に留まっていようとすれば、いずれ低密度をはじき出そうとする浮力によって、エーテルの海の外へとはじき出されることになります。
 
私達は、自分を密封しているエゴという名のビニールを破り、密度の低い思考・システム・概念等の泡を次々に手放し、高密度のエネルギー(思考・システム・エーテル等々)を次々にスポンジの身体内に浸していかなければならないのです。
 
人によってはこれを「気」の感覚として、ひとつ上の次元的な物理感覚として感じるのだと思います。私自身はこれをとてもリアルに感じています。
 
ただ、そうした変化の過程というのはまさに千差万別であり、それをもって進歩の過程を比較できるものではないと思います。例えば「チャネリング」としてあらわれる人もいるでしょうし、「千里眼」としてあらわれる人もいるのだと思います。
 
そして、そういう形ではあらわれない人達も普通にいるのだと思います。
 
一番大切なのは、何の変哲もない「日常生活において現れる」判断や行動などにこそにじみ出てくるのです。
 
私の場合は、もっとも大切なその部分において、進歩が遅れているような気もします。
 
ただ、その方向性でひたすら進んで行けば、いずれは誰もにそうした様々な能力が否応なく現れてくると思います。
 
取りあえず私は、気の感覚としては額や手の平から順にプツップツッと小さな穴が開き始め、この2年半くらいでようやくほぼ全身がエーテルに浸りつつある感覚があります。
 
ここまではこれまでの経過です。
 
ここからは、これからの方向として現在模索している事です。
 
エーテルに浸った状態になってくると、自分の内側および周囲にエーテル的な空間を少しずつですが感じてきます。それをよりハッキリと感じていけるようにしたいというのが1つ。
 
それから、最近はチャネリングが出来ないだろうかと思っています。
 
それは個人的な感覚からくる期待感と、ここにきてチャネリング情報に見られはじめたチャネリングの勧めとそれを暗示させるような情報によるものです。
 
エーテル的な空間において何となく感じるところでは、思考は物理的な頭部の位置を中心にやってくるのですが、例えば五感から来る情報は外側から来て、自分の思考などは上後ろ寄りの位置から来ます。本などを読んだりすることから生まれてくる思考は上前寄りの位置から来ます。
 
瞑想などで深く入っていくときには、頭部の中心部あるいは鳩尾や下腹部などです。
 
問題は、チャネリングの声がどこから聞こえて(感じられて)くるかという事です。
 
実は1年くらい前でしょうか?冬だったと思うのですが、1度だけ落ち着きのある男性の声が伝わってきた事があったのです。
 
早朝、暗いうちから確かバシャールの本を読んでいたのですが、私が読む心の声の前を先導するように同じように読んでいく声が内から聞こえてきたのです。落ち着きのある男性の声でした。
 
どこから聞こえてきたのか?覚えていませんが、感覚的には頭部中央辺りか・・・・・、よく解りません。当時は、そんな思考の来る位置何て言う発想からして持っていませんでしたから。
 
あんまり結果を求めて瞑想してもダメだろうと思って見たり、でもそういう意識を持っていた方が進歩は早いのではないかと思って見たり。
 
幸いにも、感覚的な変化が継続しているために「今」を味わう事で結構満足出来ているので、未来の結果に縛られる傾向は無いので、このまま行けばそのうち何かあるでしょう、くらいに気楽に楽しめています。
 
来週の土曜日、25日(土)は今回の一連の3度の蝕の最後にあたる半月食があります。
 
まだまだ、気の感覚の絶対量を増強する事に主眼を置きながら、変化の波に乗っていきたいと思っています。