「NESARA」って何?
時々、「NESARA」という言葉を見かけます。
主に一部のチャネリング情報の中に見かけるのですが、大雑把に言えばイルミナティ等のごく一部の人々によって支配されてきたシステムから人類を解き放ち、全人類に豊穣をもたらす宇宙基準の社会システムと言われているようです。
私は、このNESARAの情報については、微妙な見解であり横目でチラッと見る程度にとどめています。
ただ、その一方で「NESARA」という新システムの存在自体は、否定されるものではないかもしれないとも感じています。ただ、ハッキリとはわかりません。
ほとんどまともには読んでいない(読みたくない)ので、NESARAが実際にどういうものなのかはよく解っていないのですが、イルミナティが独占してきた資金が全人類に配分されるだとか、フリーエネルギーで生活が豊かになるだとか、イルミナティ等のメンバーが宇宙法的に裁かれるだとか、そんな感じでしょうか?
全部がウソではなくて、本当の仲にウソが埋め込まれていると思います。
それについて、あまり題材として取り上げて、あれやこれやと詮索することは控えますが、アセンションと言う転換を乗り越えていく上でのポイントを挙げておきたいと思います。
これは、NESARAをどう見るかに限ったことではありません。そして、私はNESARA(新システムの雛形)を肯定できるのか判断しかねていますが、かと言ってその存在自体を全否定している訳ではありません。念のために。
・幸せは外(外部環境)からは訪れてきません。
(資金の配布がいくらになるだとか、いつから始まると焦らす様に伝えてくるのはチャネリングとしてどうよ?)
・今回のアセンションのテーマとは、二元性を超えた世界の一体性への覚醒です。
(正義だとか裁判だとかを「強調」するけれど、それって結局は二元性への回帰でしょ?)
・自らの役割は、自ら気づき自ら与えられるものです。
(頑張れば選ばれるって、結局は選ぶ者と選ばれる者の二元性じゃん。)
結局、一番最初に挙げた部分が重要になってくると思います。幸せの条件を外部環境に求めるというのは、これまでの世界なんですね。外部環境が幸せになって、それが心を幸せに変えるというのはこれまでに人類が勘違いしてきた部分なんです。
幸せは外部環境からは訪れません。
幸せとは人間の内面の問題なんですね。内面が幸せになってはじめてそれが外部環境へと現れてくるんです。
NESARAという新システムのひな形は存在するかも知れません。それがキチンと機能し始めれば、それは確かに夢のようなシステムかも知れません。
ただ、そこに逃げ込んでシステムに幸せにしてもらおうと思っている限り、例え新しいシステムに切り替わったとしても(スムーズか混乱を経てかはともかく)、結局はこれまでと同じ事の繰り返しになってしまいます。
システムに幸せにしてもらう。システムをコントロールしている人たちに幸せにしてもらう。
そういう問題ではないんですね。
どんな環境にあろうとも、多次元的な自分に覚醒して、前向きに幸せに生きていけるようになることが大切だと思うんですね。その上での新システムだと思うんです。
結局は、問題は1つなんですね。
NESARAがあるか無いかというのは、問題ではないんです。
多次元的な存在としての自分を意識し始める中で、今、この瞬間に自分がどれだけ深いところまで世界と調和しているのかという事だけなんですね。
そうすれば、NESARAがあっても無くても、より幸せな現象世界が自分に歩み寄ってくるんですね。
そういう方向に向かわないのであれば、分離的な依存的な状態から変わろうとしないのであれば、例えNESARAがあっても、幸せは近づいてはこないんですね。
それは、「お金と時間と自由を充分に保持」していながら、毎日をテレビの前や、せっせとある意味で元気に病院へ通うことで悶々としたストレスに包み込まれて生活している一部のお年寄りの人々などが証明してくれています。
それは、極端な例と感じるかも知れませんが、極端でも何でもないんですね。「幸せの仕組み」とは、そういうものなんです。