アセンションの時代

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原点に還る

3度の蝕ということで、25日の半月食に注目してきましたが、個人的な変化について結論から言えば、これまでの同様なイベント並みの変化はありました。
 
グラウンディングという意味においては、取りあえずはほぼいいところまで進んだように感じています。
 
欲をかいた期待としては、高次元の存在とのチャネリングなどの何らかの意思疎通が感じられ始めると嬉しいと思っていたのですが、それはありませんでした。
 
ある意味においては、直感・ひらめき等も高次元の存在からのメッセージではあるのですが、そうは言われても・・・・ねぇ。やっぱり、ストレートに色々と意思疎通をすることに憧れるのは自然なことでしょう。
 
こうした天体的なエネルギーのイベントによる、感覚的なステップアップもこれまでは新鮮な気持ちでワクワクと迎えてきたのですが、さすがにマンネリ化気味でステップアップがあっても、「それでぇ?」とあからさまには思いませんが、何となくそんな気持ちが知らぬ間に霞のように広がってきているような感じもあります。
 
色々なところに「混沌」が現れてきています。
 
職場全体としての雰囲気や、そこに関わる人々の家庭なども含めた各環境などが、何となくではなくハッキリと混迷を深めてきています。
 
景気の良いときには、行け行けドンドンで、問題が有ろうが無かろうがパーッと遊んで勢いで乗り越えてきていた物が、この長引く不景気もいよいよ最終局面(アベノミクスは最後の打ち止め花火)を迎えて、あらゆる問題が誤魔化すことも出来ずにストレートに現れてきているようです。
 
こんな時はやはり、「原点に返る」事が大切なのでしょう。
 
最近は、波動的エネルギーやアセンションの推移に重点を置いてきましたが、やっぱり基本は「日常生活における調和」ですからね。少なくとも、上昇しつつあるこの次元に存在している限りは。
 
最近、私の頭の中には、「分離意識が強い人への対応」が自然に浮かんできてしまいます。そんなつまらないことは考えたくないのですが、勝手に浮かんでくるんですよね。
 
結局、この次元世界での進化のためには、それがもっとも恵まれた環境であるようです。
 
妻とのトラブルの数々も、この次元世界の生活から見ればウンザリするようなものばかりですが、魂のレベルから見れば最高の学び場となる訳なんですよね。ひじょ~に、複雑な気分ですが。
 
ソクラテス曰く、「良い妻を持てば幸せになれるが、悪い妻を持てば哲学者になれる。私のように。」
 
ああ、我が友ソクラテスよ。(笑)
 
まあ、それはともかくとして、理不尽な環境ほどそれを学びのチャンスと受け入れ向かい合えば、キチンと進化という褒美を与えてくれるんですね。
 
そこでここのところ頭の中に浮かんでくる、「超分離思考のエライさん」への対応として思いついたのは、「素直に受け答えをする」という事です。
 
職場的な立場は相手は組織のほぼトップ、私は組織のほぼ底辺。(笑)
 
だから、相手が大きな声で理不尽なことで食いつくように向かってくると、みんなオロオロとして動揺して理不尽を受け入れてその理不尽な環境の中で追い詰められてしまうんですね。
 
だから、素直に理不尽は理不尽だと指摘すれば良いんですね。(笑)
 
実は既に一度、私はその人と大激突をしたことがあるんです。その時は私もイライラしていたので、その場の気分で「解らないことは解らない」「おかしな事はおかしい」と“素直に言った”んですね。
 
そうしたら、結局は相手の方がアタフタとして、挙げ句の果てには言い訳をしだして、「俺はどうでもいいけれど、お前達のためを思ってやってるんだからな。」だと。「ウソつけ、バカ!」と思ったけれど、言いませんでした。大人ですから。(笑)
 
その時は、突発的な出来事で反射的にそうなり、それ以後は向こうからこちらに近づいてくることは無くなったので、相変わらず怒鳴りつけられている周囲の人々を見ながらウンザリとため息をつきつつ、それでも自分に限ればせいせいとしていた訳です。
 
しかし、こんどは私も含めた10人くらいの集まった場で、またその人ひとりがその他の人に怒りたがっているんですね。だから、最近はそれが頭に浮かんできていたのです。どう対応したらいいのかな?と。
 
で、結論は上記のとおりです。
 
これは、進歩のチャンスです。進歩とは分離から調和への転換のエネルギーです。
 
「転換のエネルギー」とは「自分の目的」です。
 
理不尽に怒られる側の人たちは怖いため「理不尽を受け入れてしまう」のです。だから、その理不尽な前提で議論をしても勝てる(より良い意見が出せる)訳がありません。
 
だから、誰もが理不尽と感じているけれど言うことの出来ない理不尽を、「素直に言ってしまえば良い」のです。
反論もまた、理不尽ですから、「それも理不尽だ」と言ってしまえば良いのです。さらに言ってきたなら、それも「全部その理不尽を指摘すればよい」のです。
 
みんなが思っていることを、声に出して言ってしまえば良いのです。
 
「それが言えれば苦労しない!」。そう反論したい人、多いでしょうね。
 
だけどね、ボクちゃん、それが言えちゃうんだなぁ~。(笑)
 
いや、正確には言わずにはいられないんですよねぇ。(笑)
 
普段は興味のないことには、よそ事を考えているのですが、向こうから食って掛かってこられれば、興味が無くても興味がないではすみませんので、何らかの対応が必要になってくるんですね。
 
そう言うわけで、「素直に対応」する事にまとまりました。立場に関わらず、分離を拒否して、出来ればバラバラに分解しつつある(今回の怒り屋さんの存在による部分もあって)怒られる側一同のなかに、同調を利用して調和の方向付けだけさり気なくにおわせられたら、より良いでしょうね。
 
アセンションって、色々な側面があると思うのですが、日常社会的な視点から捉えれば、そういう出来事が広がっていくということじゃないのかなぁ。
 
「仕事だからしょうがない」と言って、仕事的に上の立場からの理不尽を自ら押さえ込んできたものが、「いや待てよ。やっぱりそれはおかしいんじゃないだろうか?みんなは、どう思う?」
 
私の職場では、それで私が孤立することは無いと思います。10年・20年前なら孤立したでしょうね。それがアセンションの進展なのだと思います。